近世三田藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:02 UTC 版)
1601年(慶長6年) 山崎家盛は関ヶ原の戦いで西軍に仕え敗戦するも、罪を問われることなく因幡国若桜藩に転封となる。代わって摂津有馬氏の出で東軍の武将であった有馬則頼が播磨国淡河から2万石で入封。 1602年(慶長7年) 有馬則頼が没すると丹波国福知山藩6万石を所領していた嫡男の豊氏が家督を継ぎ、三田藩2万石を併合し福知山藩8万石の所領となった。これにより三田藩は一旦廃藩となり三田城(車瀬城)も破却される。 1620年(元和6年) 福知山藩主の有馬豊氏は大坂の陣の武功により20万石の大名となり筑後国久留米藩に移封。 1626年(寛永3年) 出羽国上山藩から松平重直が3万石で三田に入封し三田藩は復活する。のちに、松平重直は豊後国高田藩(竜王藩)に転封となる。 1633年(寛永10年)幕府は 志摩国鳥羽藩の九鬼氏の家督相続にかかる争いを理由に、九鬼久隆を3万6千石で三田へ転封に処し、九鬼隆季へ新規に丹波国綾部藩2万石を宛行う。
※この「近世三田藩」の解説は、「三田藩」の解説の一部です。
「近世三田藩」を含む「三田藩」の記事については、「三田藩」の概要を参照ください。
- 近世三田藩のページへのリンク