輸出市場でのコーティナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/21 04:52 UTC 版)
「フォード・コーティナ」の記事における「輸出市場でのコーティナ」の解説
アメリカにはMk1・Mk2が1960年代を通じて輸出され、自社のフォード・ピントなどの米国製サブコンパクトカーが完成するまでの間、欧州や日本からの輸入小型車に対抗する商品として、全米のフォード販売網を通じて販売された。フォードの販売力によってそこそこの販売成績は収めたが、VWビートルや日本製小型車の敵とはならなかった。1970年にピントが登場するとコーティナの対米輸出は終了し、Mk3以降は販売されなくなったが、カナダへは1973年モデルまで輸出が続けられた。 その他の輸出先ではタウヌスが売られるケースが多かったが、スカンジナビア各国や日本ではコーティナとタウヌスは併売された。日本には、近鉄モータース・ ニューエンパイヤモーター・フォード自動車(日本)等によって輸入されたが、販売元は当時は車名を「コルチナ」と表記していた。また、日本復帰前の沖縄では「コティナー」として売られていた。 コーティナが日本でよく売れたのは、日本車の技術水準がまだ低く富裕なオーナードライバー向けの車種も少なかった1960年代までで、その後販売は先細りとなっていたが、1977年にフォード自動車(日本)はMk4の2.0ギア(3速オートマチック)を277万円という低価格で投入し、量販を試みた。しかしこの時期にはオペルや欧州フォードなど米国資本系欧州車の需要はすでに落ち込み、このクラスの需要層はより「外車らしい」アウディやBMWに流れており、この試みはあまり成功しなかった。コーティナの輸入自体は、再び300万円台に値上げされたMk5の時代まで継続された。
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