軽観測ヘリコプター (LOH) 計画
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「OH-58 カイオワ」の記事における「軽観測ヘリコプター (LOH) 計画」の解説
アメリカ陸軍は1950年代中期、H-13 スー観測ヘリコプターの後継機となる新たな軽観測ヘリコプター(LOH)計画を提示し、LOHは4人乗りで最大速度103kt以上、有効積載量180kg以上などの性能要求が出された。これに対し、12社に上るメーカーから22種類におよぶ設計案が提出され、このうちベル・ヘリコプターやヒューズ社、ヒラー社が最終選考まで進んだ。1961年5月19日に陸軍から試作機製造が承認され、各社5機ずつ製造した。 ベル・ヘリコプターは「モデル206」、ヒラーは「FH.1100」、ヒューズは「モデル369」を提案した。「モデル206」にはYOH-4A、「FH.1100」にはYOH-5A、「モデル369」にはYOH-6Aの名称が与えられ、比較評価試験が行われた。1年間におよんだ評価試験の結果、1965年5月26日に機体性能の良さと安価なことからYOH-6Aを選定、OH-6の名称で導入し、ベル・ヘリコプターのYOH-4Aは破れた。 ベル・ヘリコプターは、「モデル206」を民間型に改良したベル 206 ジェットレンジャーを開発、1966年1月10日に初飛行させた。ベル 206は、民間市場で好調なセールスを記録し、1968年1月にはアメリカ海軍がTH-13練習ヘリコプターの後継機として着目し、TH-57A シーレンジャーの名称で採用した。さらに、1960年代後半にはOH-6Aの生産費用が急騰したことから調達中止となり、再度軽観測ヘリコプターの入札が行われ、1968年3月8日にOH-58A カイオワの名称で採用が決定し、新たな観測ヘリコプターとして2,000機が発注された。OH-58A量産初号機は1969年5月23日にアメリカ陸軍へ引き渡されてベトナム戦争に投入されている。OH-58Aは耐久性や信頼性でOH-6ほどの評判は得られなかったものの、民間型譲りのキャビンの広さは好評で負傷兵護送にも使用された。
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