転機と挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2008/08/31 11:08 UTC 版)
「リチャード・パーカー (水兵)」の記事における「転機と挫折」の解説
6月6日、パーカーは委員会とノーセスク卿との会合を招集し、卿に請願書と最後通告を手渡した。それには、反乱側の要求が54時間以内に受け入れられるべきこと、さもなければ、『艦隊は彼らの親愛なる国民が驚くような行動に出るであろう』ことが警告されていた。高まりゆく緊張は、いくつかの艦での反乱の放棄を招いた。委員会の急進派も反乱の終結を感じ取って海外に逃亡するものが出始めた。そしてパーカー自身の逃亡も懸念され、拘束した者には500ポンドの報酬が提示された。 委員会の提示した最終期限が何の応答もなく経過した6月9日朝、パーカーは艦隊にテセル島に向けて出航するよう命令した。しかし、出航の信号が揚ったときそれに応えて動く船はなく、ここに反乱は事実上終息した。パーカーは6月13日に拘束され、厳重な警護のもとにシアネスに連行された。そして軍法会議にかけられ、6月30日に盛大な儀式と共に「サンドウィッチ」艦上で死刑が執行された。国王ジョージ3世の希望に反して、パーカーの死体が公にさらされることはなかった。パーカーの妻アンは、それまで彼の処刑を防ぐために疲れを知らずに働いたが、処刑後、絞首台から遺体を引き取ることができた。
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