軍人・政治家・満鉄関係者
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「吉薗周蔵」の記事における「軍人・政治家・満鉄関係者」の解説
高島鞆之助 大正2年(1913年)、第3師団長に補された上原勇作は名古屋赴任の途中で発病し大阪赤十字病院へ緊急入院した。祖母・ギンヅルより罌粟丸薬と多量の浅山丸を急ぎ届けるよう指示された周蔵を待っていたのが元陸軍大臣の高島だった。この時、罌粟丸薬よりも浅山丸の方を多く持ってきたことを伝えると、高島は「さすがオギンさん」と感心していた。 宇垣一成 大正2年(1913年)、大阪赤十字病院に上原を見舞いに来ているところを確認。大正8年(1919年)6月に大森の上原邸に寄った時に、たまたま宇垣の中将内定祝いをしており、宇垣の時局講話を聴く。 貴志弥次郎 大正3年(1914年)7月3日の東京司令部での上原との面会時に同席。上原への報告後に紹介された。周蔵が尊敬する軍人の1人。 鎌田彌助 大正4年(1915年)7月18日、上原との面会時に紹介され「閣下の信望あつしと見る」。満州鉄道関係者。 明石元二郎 大正5年(1916年)の渡欧前に上原によって引き合わされる。周蔵は明石に3度会って日露戦争時の苦労話を直接聞き、「まるで1人で勝利に結びつけたような人物」と手記の中で称賛している。周蔵が尊敬する軍人の1人。 石光真清 大正5年(1916年)の渡欧時と翌年の帰朝時に周蔵に同行。周蔵は渡欧時の船上で諜報術や心構えを教わった。「生きる道をどうしたら良いかと教えてくれた人物の一人」として尊敬した。 平岡定太郎 甘粕正彦 大正9年(1920年)1月、大森の上原邸を訪ねた際に鎌田彌助より紹介される。同年3月、周蔵宅に来訪し、伊達順之助なる人物を匿って欲しいという事で、これを了解する。 荒木貞夫 石原莞爾 後藤新平 辻政信 笹川良一
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