路面電車時代、シカゴ・サーフェス・ライン発足まで
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「シカゴ・サーフェス・ライン」の記事における「路面電車時代、シカゴ・サーフェス・ライン発足まで」の解説
シカゴ市内に初めて路面電車が登場したのは1890年、カルメット・エレクトリック・ストリート鉄道(Calumet Electric Street Railway)が運営する路線だった。当時最新鋭の軌道交通であった路面電車に対して、シカゴ各地で市内鉄道を運営していた他の企業はケーブルカーへの投資を優先していた事もあり、導入を躊躇する動きも見られたものの、ケーブルカーよりも効率的かつ高速な路面電車の存在価値は大きく、1892年以降は急速にケーブルカーや馬車鉄道の路線が電化され、路面電車に置き換えられていった。シカゴ市内からケーブルカーや馬車鉄道が姿を消したのは1906年の事だった。 一方、馬車鉄道の開業以降シカゴ市内に次々に設立され、乱立状態となっていた各民間事業者は1890年代以降統合を重ねていったが、各企業は独自の運賃を有しており、別企業の路面電車へ乗り換える際には企業ごとに運賃を支払う必要があった。この状態を解消する動きは1899年頃から見られたが、20世紀初頭からはイリノイ州高等法院からの判決や法令など行政の介入により、運賃の統一や相互直通運転が実施されるようになった。特に1907年には法令によりシカゴ市監督技師局(Board of Supervising Engineers)が設立され、各企業は統一された規格を用いる事となった。そして、1914年2月1日に施行されたシカゴ市議会の条例によって、4つの企業を一律で管理する、世界最大の路面電車網の運営組織「シカゴ・サーフェス・ライン」が誕生した。
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