超特大本塁打
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 20:48 UTC 版)
マントルの本塁打はその飛距離が大きく話題になった。1953年4月17日にワシントンのグリフィス・スタジアムでの対セネタース戦で、5回表にセネタース先発の左腕チャック・スタブスから打った打球は、左中間のフェンスまで119m(391フィート)、そこからスタンド最後部のフェンスまで21m(69フィート)、その最後部フェンスの高さが15m(50フィート)で、その最後部のフェンスの上に取り付けてあった1.5m(5フィート)のフットボールの上の部分に当たって見えなくなったという超特大の場外本塁打であった。ヤンキースの広報担当レッド・パターソン(後にドジャース副会長)が巻き尺を持って左中間場外のボールが飛んでいったあたりに走って行き、ボールを持った少年に落下地点を聞き、巻き尺で測ったところ、171.8m(565フィート)であったという。これ以降、数々の大打者が現われているが、171.8mもの特大本塁打を測定したものはなく、いまだに、これを超えるものは出ていない。これ以後に特大本塁打は、巻き尺で測れるくらいの大本塁打として、「テープメジャーショット」と呼ばれるようになった。三冠王となった1956年のメモリアルデー(5月の最終月曜日)でヤンキー・スタジアムでの対セネタース戦で5回表に打った本塁打は、右翼3階席の屋根の場外まであと1~2フィート(30~60㎝)のところにぶち当たった。追い風であれば、場外まで飛んだと言われている。 1960年にタイガー・スタジアムでかっ飛ばした本塁打は195m(640フィート)あったとされて1995年度版ギネスブックに「史上最長本塁打」として掲載されている。
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