贋作家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 12:33 UTC 版)
同時代の批評家たちが自分の作風を評価してくれないと見たヘボンは、オールド・マスターと称されるコロー、カスティリョーネ(英語版)、マンテーニャ、ヴァン・ダイク, プッサン、ギージ、ティエポロ、ルーベンス、ヤン・ブリューゲル、ピラネージらの様式を模倣し始めた。サー・ジョン・ポープ=ヘネシー(英語版)などの美術史家たちは、ヘボンが描いた作品を本物だとした上、様式の面においても優れていると太鼓判を押し、絵画作品はクリスティーズやサザビーズなどのオークション・ハウスで数万ポンドの高値を呼んだ。ヘボン自身によれば、彼は数千点もの絵画、素描、彫刻の贋作を売ったという。ヘボンが生み出した素描の大部分は、歴史的な画家たちの作風を似せながらも、古い作品を大きく改作したり、複数の作品を組み合わせたりといったり形で、独自に生み出されたものであった。 1978年、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーのキュレーターであったコンラート・オーベルフーバーは、ロンドンの権威と格式のあるオールド・マスター作品のディーラー、コルナギ(英語版)から、美術館のために買い入れた2点の素描、サヴェリ・スペランディオ (Savelli Sperandio) の作品とフランチェスコ・デル・コッサの作品を、検査していた。オーベルフーバーは、2点の素描が、同じ種類の紙に描かれていることに気づいた。 オーベルフーバーは、2点の作品における紙質の類似性を根拠として、美術界の同僚たちに警鐘を鳴らすことを決めた。するとモルガン・ライブラリーでもコッサ (Cossa) の贋作が見つかったが、これはそれまでに少なくとも3人の専門家が本物だと鑑定してきたものであった。オーベルフーバーは、3点の贋作の出所であったコルナギに連絡をとった。コルナギは照会に応じ、オーベルフーバーに、3点がいずれもヘボンから購入されたものであったことを告げたが、ヘボンの名は公表されなかった。 コルナギは、さらに18か月を置いて、メディアに対して贋作を公表したが、この時点でも名誉毀損で訴えられる可能性を恐れてヘボンの名は伏せられた。アリス・ベケットは当時、「...誰も彼について話していない...問題は彼が良い人物すぎたことだった (...no one talks about him...The trouble is he's too good) と告げられたことを記している。こうしてヘボンは、これ以上ことが露見しないように少しやり方を変えながら、さらに500点以上の素描を1978年から1988年にかけて描き、贋作を作り続けた。彼が贋作によって得た利益は、3千万ドル以上に上るものと推定されている。
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