資本金をめぐる騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/26 07:27 UTC 版)
この第一期線開通の勢いに乗った会社は、開通と同時の1926年5月に資本金を増資して2100万元とした。この増資は引き続き奉天票で行われたものであった。 だが、ここに思いもよらない火の粉が降りかかって来た。当鉄道を支援していた郭松齢が、自分の属する奉天軍閥の長である張作霖に反旗を翻して戦火を交えた影響で、奉天票の相場が暴落してしまったのである。この他にも郭松齢の弟である社長・郭任生が突如失踪し、一時社内が混乱に見舞われるなど、この武力衝突は当社に深刻な影響を与えることになった。 これにあわてた会社は、新しく東三省官銀号が発行した現大洋票(中華民国初期に鋳造された銀貨を本位とする紙幣)で資本金を調達し直すこととし、1929年12月に資本金282万元を株式5万6400株をもって集めるに至った。 ところが弱り目にたたり目というべきか、1932年に満州国が樹立された際、当社の株式のうち6,946株が、「逆産」と呼ばれる反政府分子の所有するものと見なされ、1933年に逆産処理委員会によって強制的に奉天省公署預かりとされてしまったのである。さらにこの株券は翌1934年2月27日に正式に没収処分となり、政府の所有となった。 石家台 - 西豊間開通以降の当社は、鉄道の経営には直接関係しないとはいえ、しばらくの間このようにして金に振り回されることとなったのであった。
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