買収の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 16:28 UTC 版)
ビーチ・エアクラフト社は、航空不況や競争の激化によって膨大な赤字に苦しんだ挙句に、巨大防衛産業であるレイセオン社に買収され、経営の立て直しを図っている中であった。しかし、自社の商品はプロペラ機のみで、高速のジェット機需要が高まる中で出遅れていた。そのころ、日本の三菱重工業の米国法人である三菱アメリカ・インダストリー(MAI)は、MU-300「ダイヤモンド」ビジネスジェット機の販売に行き詰っており、米国航空機メーカーの販売網に乗せてもらうことを希望していた。ビーチにとっては、製品にジェット機が増えることは非常に望ましく、両者の利害は一致した。 提携後にMU-300を全てBEECHJET 400(ビーチジェット400)の名で販売することとした。また、販売済みのMU-2とMU-300のアフターサービスもビーチが引き受けることとして、MAIの業務をほとんど引き継いだ。MAIは段階的に業務をビーチへ移管、テキサス州サンアンジェロの自社工場も閉鎖し、1986年に米国営業から完全に撤退した。ビーチは日本から送られる機体に、独自の内装を施して販売し、また過去にMAIが販売したMU-300も全てビーチジェット400として統一した。 その後もビーチは三菱に機体の生産を発注していたが、円高によって日本から輸入する製品が高額となり、ビーチジェットの価格が下げられなくなった。このため、ビーチはMU-300の全ての生産・販売権を要求し、遂に利益があげられなかった三菱は、1988年2月に設計を含めた生産過程全てをビーチに売り渡す契約に合意、同年に日本国内での販売も終了した。 なお三菱重工では社用機として利用し、機体の整備も子会社で行っている。
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