豊島孝三として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:55 UTC 版)
「豊島半七 (四代目)」の記事における「豊島孝三として」の解説
1921年には正式に豊島家の養嗣子となった。大阪から一宮に戻ると、1926年(大正15年)12月8日にはお見合い結婚で千賀千恵と挙式した。千恵は岡崎の老舗呉服商・大島家の当主千賀千太郎の長女であり、千太郎は岡崎商工会議所の会頭を務めていた。 1927年(昭和2年)には長男・昭太郎が生まれ、その後には次男・恒二と三男・徳三が生まれた。1929年(昭和4年)には山一商店の製造工場として東海紡織株式会社が立ち上げられ、孝三が取締役に就任。重要な役職に就くのは初めてのことだった。同年には半年をかけて世界一周旅行を行い、1931年(昭和6年)には妻と国内旅行を行っている。34歳だった1933年(昭和8年)には山一商店の代表取締役に就任。1937年(昭和12年)4月には三代目豊島半七が事業から完全に引退し、38歳の孝三が四代目豊島半七を襲名した。
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