試作リアエンジン車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:44 UTC 版)
「タトラ (自動車)」の記事における「試作リアエンジン車」の解説
1931年、レドヴィンカとエーリヒ・ユーベルラッカーらタトラ技術陣は、リアエンジンの流線型小型乗用車を試作した。それは水平対向2気筒エンジンをバックボーンフレームの後端に搭載しており、木骨鋼板ボディはヤーライ式のセダンボディだった。更に1933年には、改良型として「V570」が開発されている。このようにレドヴィンカたちは当初、リアエンジン方式を小型車に使用しようと考えていた。 だがタトラの経営陣は、流線型モデルをあくまで傍流の存在として捉えていた。当時のチェコスロバキアの道路が悪路だらけで、「高速道路」うんぬん以前のレベルであったことを考えれば、流線型自動車の高速性能を活かす場はなく、やむを得ないことではあった。タトラのベーシックカーとしては当時、汎用性に優れたフロントエンジンモデルのT57が好調な販売実績を挙げており、敢えてこれと競合するモデルを投入する必要も乏しかった。 経営者たちは、レドヴィンカらに対し「リアエンジン車の生産化は、生産規模が小さく、付加価値の大きい大型車で行うべき」と命じた。この経営陣の決断は、その後のタトラ製乗用車に特異な展開を生じさせる遠因となった。 レドヴィンカたち技術陣は、小型リアエンジン車の設計手法をそのまま拡大して大型リアエンジン車を開発した。
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