設立当初の理事・評議員たちとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 設立当初の理事・評議員たちの意味・解説 

設立当初の理事・評議員たち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:06 UTC 版)

学校法人根津育英会武蔵学園」の記事における「設立当初の理事・評議員たち」の解説

一木以下は当時教育界重鎮第一人者とされる人物であった根津嘉一郎:(初代)理事長日清製粉東武鉄道東京地下鉄道各社長。根津合名会社代表社員根津財閥総帥)。貴族院議員宮島清次郎理事日清紡績社長訪米から帰国したのちの根津から、育英事業計画について早くから相談受けていた。第2次世界大戦後4代理事長正田貞一郎理事日清製粉専務(のち社長)。宮島同じく根津からの相談を受ける。初代学園長正田建次郎次男根津啓吉東武鉄道取締役貴族院議員。嘉一郎の甥で、その実家である山梨県第2位大地主油屋」の当主本間則忠:文部省事務官経て大分県参事官後出平田東助交友があり、フランスリセドイツギムナジウムのような社会中核となる人材育てる」ことを眼目とした学校創設構想根津助言学校設立に際して実務担当した平田東助評議員内務官僚出身貴族院議員いわゆる山縣閥」の重鎮臨時教育会議総裁根津相談を受け、一木岡田・山川・北條の4名を顧問として推薦一木喜徳郎評議員内務官僚出身枢密顧問官美濃部達吉とともに天皇機関説支持者として知られる臨時教育会議委員改革派メンバー目されていた。旧制武蔵高等学校初代校長就任し根津没後には第2代理事長岡田良平評議員寺内内閣文部大臣臨時教育会議委員改革派メンバー目されていた。一木長兄山川健次郎評議員顧問東京帝国大学九州帝国大学総長明治専門学校総裁京都帝国大学総長枢密顧問官歴任し東京帝大総長再任される。臨時教育会議委員改革派メンバー目されていた。のち武高の第2代校長。第4代校長山川黙(しずか)は姉の養子北條時敬山口高校四高広島高師各校長、東北帝国大学総長歴任し学習院院長臨時教育会議委員改革派メンバー目されていた。武高の初代教頭第3校長として初期校務をとりしきった山本良吉推薦佐々木吉三郎臨時教育会議委員東京高師教授経て東京市視学学務課長など。

※この「設立当初の理事・評議員たち」の解説は、「学校法人根津育英会武蔵学園」の解説の一部です。
「設立当初の理事・評議員たち」を含む「学校法人根津育英会武蔵学園」の記事については、「学校法人根津育英会武蔵学園」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「設立当初の理事・評議員たち」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「設立当初の理事・評議員たち」の関連用語

設立当初の理事・評議員たちのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



設立当初の理事・評議員たちのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの学校法人根津育英会武蔵学園 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS