設立当初の理事・評議員たち
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「学校法人根津育英会武蔵学園」の記事における「設立当初の理事・評議員たち」の解説
一木以下は当時の教育界の重鎮・第一人者とされる人物であった。 根津嘉一郎:(初代)理事長。日清製粉・東武鉄道・東京地下鉄道各社長。根津合名会社代表社員(根津財閥総帥)。貴族院議員。 宮島清次郎:理事。日清紡績社長。訪米から帰国したのちの根津から、育英事業の計画について早くから相談を受けていた。第2次世界大戦後、4代理事長。 正田貞一郎:理事。日清製粉専務(のち社長)。宮島と同じく根津からの相談を受ける。初代学園長の正田建次郎は次男。 根津啓吉:東武鉄道取締役・貴族院議員。嘉一郎の甥で、その実家である山梨県下第2位の大地主「油屋」の当主。 本間則忠:文部省事務官を経て大分県参事官。後出の平田東助と交友があり、フランスのリセやドイツのギムナジウムのような「社会の中核となる人材を育てる」ことを眼目とした学校の創設構想を根津に助言。学校設立に際しては実務を担当した。 平田東助:評議員。内務官僚出身の貴族院議員でいわゆる「山縣閥」の重鎮。臨時教育会議総裁。根津の相談を受け、一木・岡田・山川・北條の4名を顧問として推薦。 一木喜徳郎:評議員。内務官僚出身の枢密顧問官。美濃部達吉とともに天皇機関説の支持者として知られる。臨時教育会議委員で改革派メンバーと目されていた。旧制武蔵高等学校の初代校長に就任し、根津没後には第2代理事長。 岡田良平:評議員。寺内内閣の文部大臣。臨時教育会議委員で改革派メンバーと目されていた。一木の長兄。 山川健次郎;評議員・顧問。東京帝国大学・九州帝国大学総長、明治専門学校総裁、京都帝国大学総長、枢密顧問官を歴任し東京帝大総長に再任される。臨時教育会議委員で改革派メンバーと目されていた。のち武高の第2代校長。第4代校長の山川黙(しずか)は姉の養子。 北條時敬:山口高校・四高・広島高師各校長、東北帝国大学総長を歴任し学習院院長。臨時教育会議委員で改革派メンバーと目されていた。武高の初代教頭・第3代校長として初期の校務をとりしきった山本良吉を推薦。 佐々木吉三郎:臨時教育会議委員。東京高師教授を経て東京市視学・学務課長など。
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