設立当初の美術館の性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:45 UTC 版)
「東京都美術館」の記事における「設立当初の美術館の性格」の解説
府美術館の構想について、画家・石井柏亭は、そのモデルとしてパリのグラン・パレのような巨大なギャラリー(展示場)を想定した。また、建設資金を寄付した佐藤慶太郎は、古美術品の保護と作品の体系的な収集、それらを常設展示できる欧米型のミュージアムを希望していたという。 一方で府の方針は、展示を本位とするギャラリーだった。そして政府による官展から在野の美術団体を問わず、芸術家の発表の場となっていき、当時はここに作品が飾られることが、芸術家として認められたこととなるような場となった。
※この「設立当初の美術館の性格」の解説は、「東京都美術館」の解説の一部です。
「設立当初の美術館の性格」を含む「東京都美術館」の記事については、「東京都美術館」の概要を参照ください。
- 設立当初の美術館の性格のページへのリンク