銘板
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銘板(めいばん)は、銘を彫り込んだ金属などの板である[1]。名板、銘鈑、ネームプレート、プラーク等も同義語として用いられる[2]。
- ^ 岩波書店『広辞苑 第六版』「銘板」の項
- ^ 銘板の規格 アイム株式会社
- ^ JIS Z 8304:1984 銘板の設計基準 日本規格協会グループ
- ^ 銘板の設計基準 JIS Z 8304-1984 日本規格協会
- ^ https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9A%E7%A4%8E%E6%9D%BF-1371526 定礎板とは] コトバンク
- ^ 群馬県/大型構造物以外にも工事銘板設置/会社名・技術者名も記載 日刊建設工業新聞、2017年10月4日5面
- ^ 道路まめ知識 北海道開発局小樽開発建設部
- ^ これひとつに情報満載!? コーションプレート豆知識 GAZOO
- ^ “日本 橋やトンネルの銘板2千枚以上盗難”. ロシアの声 (2014年7月6日). 2014年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月4日閲覧。
- ^ “銘板924枚、中国向けコンテナから押収 窃盗容疑”. 朝日新聞デジタル (2014年8月5日). 2014年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月4日閲覧。
- 1 銘板とは
- 2 銘板の概要
記念板
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1886年にマルクト広場に戦争記念板が設置された。これは1870年から71年のフランスとの戦いに勝利したのを記念したものである。これは後にバーンホフ通り(駅前通り)の消防署に取りつけられ、さらに現在ではライヒェンハレ近くの墓地に、第一次大戦、第二次大戦の戦没者記念板とともに設置されている。第一次大戦の戦没兵記念板はさらにプロテスタント教会にも取りつけられている。墓地には、中国での活動で知られる宣教師ゲオルク・ツィーゲルの記念板が、彼とその妻ヨハンナの墓の上に取りつけられている。ツィーゲルは1907年にバーゼル福音派宣教会の総長となり、ハイデルベルク大学神学部の名誉博士号を授かった人物である。記念板は1997年にヴィルフリート・ヴォルフによって設置された。 ベットヴェグの傍らに「アルト・リンデ」(老菩提樹)と呼ばれる木がある。この木はおそらく1850年以前に植えられたものである。その横には、近隣の集落への距離を記した里程標が建てられており、ここが1862年まで重要な交差点であったことを示している。ここからは、「橋延ばし」の民話の題材になったシュヴァルツバッハ川の橋もほど近い。 エッシェルブロン周辺には、他の集落との境界を示す標石が多く建てられている。特に1750年から1834年にかけては境界の標石が多く建てられたが、1851年にバーデンが新たに測量を行い、これらは用をなさなくなった。標石に刻まれたCPとMCは、プファルツ選帝侯領とメッケスハイマー・ツェントを示している。この他に、帝国宝珠とメッケスハイマー・ツェントの菱形、背面にはフェンニンゲン家の紋章が刻まれている。
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