観光と巡礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 10:22 UTC 版)
1984年2月22日、インドネシアのスハルト大統領(当時)は、国家的行事として、ボロブドゥールの修復完成記念式典をおこなった。そのなかでスハルトは、ボロブドゥールが国民的宗教財産である旨の演説をおこなっているが、これは少なからず波紋をまねいた。1985年にはイスラーム過激派がボロブドゥールに侵入し、円形壇のストゥーパ9基を破壊する挙に出た(1985年のボロブドゥール爆撃(インドネシア語版、英語版))。インドネシアにおける仏教徒は、国民全体のわずかに0.4%にすぎない。遺跡周辺の村々では仏教徒はほぼゼロと言える。 とはいえ、ボロブドゥールは今や年間100万人の観光客が訪れる観光地となっている。ただしそれは、政府が外貨を獲得する代償として、地域住民が負担を強いられる原因ともなった。遺跡環境整備のための周辺農地の収用である。これは強制的な立ち退きを含むものであり、耕地面積の狭小な農民にとって大きな痛手となった。遺跡公園となった外側の土地も、はっきりした買収費が払われていない部分が多かった。 今日、ボロブドゥールには、数多くのインドネシアの児童生徒が社会見学や学習旅行、遠足のために訪れるが、仏教徒がわずかなインドネシアでは管理は株式会社化し、イベントやアトラクションを考えて経営する遊園地化してしまった。しかし、ボロブドゥールは仏教徒にとって重要な意味をもつ場所であることは言うまでもない。数多くの仏僧や一般信者が参詣につめかけるようになり、寺院としての本来の役割を担うようになった。 上述のような問題や批判がある一方で、国民統合の象徴のひとつとして国内外からの強い関心が払われている。 ボロブドゥールでは、年に1回、5月の満月の夜にウェーサーカ祭と呼ばれる祭りが開かれている。この日はインドネシアの公式の祝日にもなっていて、国内外から熱心な仏教徒がムンドゥッ寺院に集まり、経典を唱えながら西に向けて行脚し、さらに、ボロブドゥールの回廊を登って涅槃に至るという一大行事となっている。
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