見島航路近代化の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 01:36 UTC 版)
大正時代より前は風で走る帆船が就航していたため、風待ちのため何日も船で過ごす事態も頻繁に生じた。1913年(大正2年)になりようやく石油発動機船が就航した。 1959年(昭和34年)に「見島丸」が就航してようやく見島~萩間が2時間半になった。わずか100トン級にすぎなかったが以前の船よりはるかに安定した運航に寄与した。それでも季節風の頃には100トンぐらいの船では流木のごとく波にもてあそばれたという。1971年(昭和46年)に「たちばな」が就航、見島~萩間は2時間に、1977年(昭和52年)に「はぎ」が就航して更なる時間短縮が実現し、見島~萩間が1時間50分になった。 1986年(昭和61年)に「たちばな2」が就航する。順次近代化された船が登場してはきたものの、船の揺れはあいかわらずひどく、船内のいたる所に汚物用のたらいが置かれ、介護員が乗船していた。 1998年(平成10年)4月、高速艇「おにようず」が就航し、見島~萩間が1時間10分になる。現在の船は「縦揺れ横揺れ軽減装置」が設けられ、高速エンジンで、飛躍的に乗り心地の改善が図られた。2019年(平成31年)に後継船「ゆりや」が就航。
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