複数都市砲撃作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:33 UTC 版)
「アメリカ本土砲撃」の記事における「複数都市砲撃作戦」の解説
1941年12月に行われた日本海軍の航空母艦搭載機による真珠湾攻撃による日米間の開戦後、日本軍は太平洋やアジア各地で敗走を続けるアメリカ軍やイギリス軍、オランダ軍をはじめとする連合国軍を圧倒し、その支配地域を広げて行った。 このような状況下で、日本海軍はアメリカ本土への潜水艦による砲撃を計画し、その一環として、同月25日に通商破壊作戦を行うべく北太平洋のアメリカ沿岸地域に展開していた日本海軍の巡潜乙型潜水艦9隻(10隻との説もある)によって、一斉にアメリカ西海岸沿岸のロサンゼルスやサンディエゴ、モントレー、ユーレカ、アストリアなど計8都市を砲撃するという作戦を計画した。 しかし、実行日の12月25日直前に27日以降へ延期するとの命令が下され(クリスマスに砲撃を行い民間人に死者を出した場合、アメリカ国民を過度に刺激するので延期されたという説がある)、さらにその後各潜水艦が燃料不足となり、同時砲撃が行えなくなったために作戦は中止となって各艦は帰投した。しかしその後もこれらの潜水艦は通商破壊戦をアメリカ西海岸沿岸で繰り広げ、多くの貨物船やタンカーを撃沈するなどの成果を上げた。
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