衆議院との折衝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:30 UTC 版)
「アルブレヒト・フォン・ローン」の記事における「衆議院との折衝」の解説
陸軍大臣となったローンは早速ヴィルヘルム王子の軍制改革(3年現役兵役維持、徴兵数増加、連隊新設、ラントヴェーア第1兵役の後備軍化、軍事予算増額)を推し進めようと図ったが、衆議院の自由主義勢力はドイツ統一のため軍拡の必要性は認めつつも、長い兵役は国民の経済的自由への侵害と看做しており、またラントヴェーア弱体化も軍隊から市民的な要素を奪い、王権を強化しようとするものと批判していた(プロイセン自由主義者には1848年革命以来「ラントヴェーア無くして憲法なし」という伝統があった)。そのため1860年1月12日に召集された衆議院の軍事委員会は軍制改革について徴兵数増加には賛成しつつ、3年兵役制とラントヴェーアの野戦軍からの分離、多額の経費には反対した。 ローンは軍制改革は国王の統帥権で当然に実施されるものとして、議会にはその予算問題のみ掛けることとし、陸軍大臣に900万ターレルの使用を認める暫定法案を議会に提出した。これに対して衆議院の自由主義者たちはこの金額では3年兵役制は実施できないし、短期間ごとに軍制改革予算を特別経費として議会が審議することを常態化するチャンスと考えた。またヴィルヘルム王子の軍制改革を拒否しすぎて彼を完全に保守陣営の側に追いやりたくはなかった。そうした意図から自由主義者たちが「軍制改革が最終的決着を見るまでの暫定的措置」として賛成に回ったことで暫定法は1860年5月15日の衆議院本会議においてほぼ満場一致で可決された。この財源を使ってローンは、ラントヴェーアの連隊をいくつか解散させる一方、正規軍の連隊数を増加させ、貴族の将校への道を更に広げた。 1861年1月2日に国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が崩御し、ヴィルヘルム王子がヴィルヘルム1世としてプロイセン王に即位した。その後召集された衆議院は、第二次暫定法を可決したが、同時に「暫定法はあくまで暫定措置であり、軍制改革を継続するには兵役法の改正が必要である」とする見解も決議した。ラントヴェーアに関する改革は兵役法に反しており、これを統帥権の名の下に強行することは命令による法律の改正にあたるためである。それについてローンは「兵役法改正法案は提出するが、それは政府が自らに課した義務であり、議会に対して責任を負うものではないと理解している」と宣言して衆議院を牽制した。
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