虹二重神も恋愛したまへり
作 者  |  
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季 語  |  
                    虹   |  
                
季 節  |  
                  夏   |  
                
出 典  |  
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前 書  |  
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評 言  |  
                   句集『礼拝』に所収。 掲句は昭和二十四年の作。津田清子は、昭和二十三年、橋本多佳子の「七曜句会」に出席して初めて俳句に手を染めたというから、初心の作品である。初心といっても、それ迄短歌を志し歌誌「オレンジ」に入会していたので、詩心は培っていた。 私がこの句を目にしたのは歳時記の例句によってであったが、特に女性なら誰でも心に残す作品ではないだろうか。「虹二重」の豊かさ、そして「恋愛したまへり」と断定したところの潔さにひかれる。恋愛をする神といえば、まず日本神話を想像する。私は、いざなぎといざなみの命をイメージしていた。 ところが、句集名でも分るように、キリスト教に於ける神を詠んでいたのであった。 私は津田清子氏について不勉強で、全句知っているわけではなく、長い句歴の背景もほんのさわりしか知らないのだが、『礼拝』所収の作品群をみると、教会通いの時間を大切にしていた。<礼拝に落葉踏む音遅れて着く><ヴェール被てすぐに天使や聖夜劇><磔像のうしろに薔薇を爪はじく>などがある。 終戦後、どう生きてゆくべきか、日本人は誰も思い悩み、己の進むべき道をさがしていた。そういう時代の信仰である。津田氏がキリスト教に帰依されたかどうかは知らないが、やはり神を詠むに大胆すぎるのかも知れない。 キリスト者側からみると、<降誕祭讃へて神を二人称>などの句を含めて拒否反応があるようだ。それは、敬虔なクリスチャンであった田川飛旅子を師としていた私にはよく分る。  |  
                
評 者  |  
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備 考  |  
                  
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