薩都神社とは? わかりやすく解説

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薩都神社

読み方:サツトジンジャ(satsutojinja)

教団 神社本庁

所在 茨城県常陸太田市

祭神 立速男命

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

薩都神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 18:31 UTC 版)

薩都神社


拝殿

所在地 茨城県常陸太田市里野宮町1052
位置 北緯36度34分6秒 東経140度32分19秒 / 北緯36.56833度 東経140.53861度 / 36.56833; 140.53861 (薩都神社)座標: 北緯36度34分6秒 東経140度32分19秒 / 北緯36.56833度 東経140.53861度 / 36.56833; 140.53861 (薩都神社)
主祭神 立速日男命
社格 式内社(小)
郷社
創建 延暦7年(788年
本殿の様式 日吉造銅板葺
例祭 4月10日
地図
薩都神社
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鳥居

薩都神社(さとじんじゃ)は、茨城県常陸太田市にある神社式内小社で、旧社格郷社

祭神

  • 立速日男命(たちはやびおのみこと)

常陸国風土記』に登場する天津神で、同書によると「名を立速男命(たちはやおのみこと)と称す。一名は速経和気命(はやふわけのみこと)」とされる。風土記では、立速男命の祟りに苦しんだ住民たちの要請を受けて、中臣鹿島連の祖・片岡大連(国摩大鹿島命の孫)が朝廷より派遣されて祭祀させたと見える。

歴史

創建

常陸国風土記』には薩都神社の項が存在し、延暦7年(788年)松澤の地に社を建てたのを創祀とする。延暦19年(800年)には村人の奏上により大連を派遣したところ「穢れ多い里よりも高山の浄境に鎮り給へ」と託宣があり賀毘礼之峰(日立市入四間町)に遷座、更に大同元年(806年)には山が険しく人々の参拝が困難であるから小中島(常陸太田市里野宮町)へ遷座したという。

概史

薩都神・静神の神階推移[1][2]
薩都神 静神
846年 勲十等
→従五位下勲十等
--
866年 従五位上勲七等
→正五位上勲七等
--
874年 正五位上勲七等
→従四位下勲七等
--
885年 -- 従五位下
→従五位上
神名帳 名神大

国史における初見は『続日本後紀承和13年(846年9月8日条で、勲十等薩都神に従五位下を授くとある。その後も昇進を続け、 貞観16年(874年)には従四位下まで達した。延喜式神名帳には常陸国久慈郡の小社に列している。六国史終了時の神階においては久慈郡の名神大社である静神社より高いが、延喜式では小社であるため、この間に勢力が逆転したと見られる。

中世以降は佐竹氏に崇敬され、当社縁起によると、正平年間には佐竹義宣が社殿を修造したとあり、社伝によると、大永2年(1522年)に佐竹義舜により現在地に遷座したという。

明治6年(1873年)6月、郷社に列した。

神階

境内

参考文献

  • 境内説明板
  • 「延喜式内 久慈郡二ノ宮 薩都神社」(由緒書)

脚注

  1. ^ 薩都神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」。
  2. ^ 静神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」。

関連項目



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