蓬莱山経塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 09:55 UTC 版)
蓬莱山経塚は社殿の裏側から発掘された経塚で、1960年(昭和35年)、東京国立博物館によって発掘された。出土遺物は200点余をかぞえ、陶製経甕破片、経筒残片、銅銭、和鏡、経石、貞治2年(1363年)刻銘のある銅板金具などのほか、隣接する岩室から400点以上にのぼる御正体(みしょうたい)が出土している。御正体の製作年代は様式から見て、平安時代から室町時代にかけてと見られ、平安時代4点、鎌倉時代119点、室町時代42点、不詳数点と分類されている。鏡像・懸仏の両方を含み、描画技法は墨彩、毛彫、線刻、針書、金銅鋳出など様々である。描かれているのは半数以上が阿須賀神社の本地仏である大威明徳王であるが、熊野三山の本地仏である阿弥陀如来(熊野本宮)、薬師如来(熊野新宮)、千手観音(那智)や、神倉神社の本地仏である愛染明王像等も出土している。 これら出土物はすべて東京国立博物館で整理・調査・研究されたが、1976年(昭和51年)、神社に返還された後、新宮市立歴史民俗資料館に保管されており、一般に公開されている。出土品は2019年7月23日付けで国の重要文化財に指定された。蓬莱山は和歌山県指定史跡(1958年〈昭和33年〉4月1日指定)である。
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