蒲田の与太者トリオとは? わかりやすく解説

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蒲田の与太者トリオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 14:11 UTC 版)

阿部正三郎」の記事における「蒲田の与太者トリオ」の解説

1925年大正14年6月、満13歳松竹蒲田撮影所入社し映画俳優阿部 正三郎」となる。当初出演歴不明である。ただし、『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』では、蒲田入社時期を「昭和5年」(1930年)としている。満19歳となった1931年昭和6年12月4日公開され野村浩将監督によるサイレント映画令嬢与太者』から、主演に近い役を得る。同作以降シリーズ化されて「与太者シリーズ」となり、磯野秋雄三井秀男(のちの三井弘次)との「与太者トリオ」は、人気博した。同シリーズでの貢献により、1934年昭和9年1月阿部は、磯野三井とともに幹部待遇昇格、翌1935年昭和10年1月には、3人そろって幹部昇格した1936年昭和11年1月15日撮影所機能神奈川県鎌倉郡大船町現在の同県鎌倉市大船)に移転するにあたり新設松竹大船撮影所異動になった現代劇ばかりではなく京都松竹下加茂撮影所出張して時代劇剣戟映画主演・準主演することもあった。 1940年昭和15年)ころ、第二次世界大戦のために召集され正確な没年月日不詳であるが、戦死した伝えられる。満28歳ころの没。同年12月31日公開された『お絹番頭』(監督野村浩将)が、最後の出演であったインターネット等で、国島荘一1902年 - 1932年)と同一人物とされることがあるが、まったく別人である。

※この「蒲田の与太者トリオ」の解説は、「阿部正三郎」の解説の一部です。
「蒲田の与太者トリオ」を含む「阿部正三郎」の記事については、「阿部正三郎」の概要を参照ください。

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