蒲田の与太者トリオ
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1925年(大正14年)6月、満13歳で松竹蒲田撮影所に入社し、映画俳優「阿部 正三郎」となる。当初の出演歴が不明である。ただし、『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』では、蒲田入社時期を「昭和5年」(1930年)としている。満19歳となった1931年(昭和6年)12月4日に公開された野村浩将監督によるサイレント映画『令嬢と与太者』から、主演に近い役を得る。同作以降、シリーズ化されて「与太者シリーズ」となり、磯野秋雄、三井秀男(のちの三井弘次)との「与太者トリオ」は、人気を博した。同シリーズでの貢献により、1934年(昭和9年)1月、阿部は、磯野、三井とともに準幹部待遇に昇格、翌1935年(昭和10年)1月には、3人そろって準幹部に昇格した。1936年(昭和11年)1月15日の撮影所機能が神奈川県鎌倉郡大船町(現在の同県鎌倉市大船)に移転するにあたり、新設の松竹大船撮影所に異動になった。現代劇ばかりではなく、京都の松竹下加茂撮影所に出張して、時代劇の剣戟映画に主演・準主演することもあった。 1940年(昭和15年)ころ、第二次世界大戦のために召集され、正確な没年月日は不詳であるが、戦死したと伝えられる。満28歳ころの没。同年12月31日に公開された『お絹と番頭』(監督野村浩将)が、最後の出演作であった。 インターネット等で、国島荘一(1902年 - 1932年)と同一人物とされることがあるが、まったく別人である。
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