葡式蛋撻(ポルトガル式)の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 07:23 UTC 版)
「エッグタルト」の記事における「葡式蛋撻(ポルトガル式)の登場」の解説
マカオの一般的なベーカリーでは1980年代まで、香港から影響を受けたクッキー地のエッグタルトが主流だった。しかし、1989年にロード・ストウズ・ベーカリーを創業した英国人アンドリュー・ストウが、ポルトガルのパステル・デ・ナタに独自の工夫を加えたレシピを広めた。ストウのタルトは、層状のパイ生地を用いることとカスタードをカラメル化させる点ではポルトガル風だったが、カスタードクリームにコーンフラワーを混ぜることはやめて舌触りを滑らかにしていた。カラメル化は地元民にとってなじみが薄かったため当初は敬遠されたが、やがて「葡式蛋撻(ポルトガル式エッグタルト)」と呼ばれて人気を博すようになった。ストウのベーカリーはマカオを代表する名店となり、1990年代に中華圏一帯や東南アジアに大きな影響を与えた。日本でも「アンドリューのエッグタルト」の名で事業を展開している。ストウは観光業への貢献によりマカオ政府から勲章を受けた。 KFCコーポレーションはアンドリュー・ストウの元妻で競合店を経営するマーガレット・ウォンからポルトガル式エッグタルトのレシピを譲り受け、1999年に香港や台湾のケンタッキーフライドチキン店舗で提供し始めた。2000年代には中国各地やマレーシア、シンガポールにも販売地域が拡大した。2010年には中国の店舗だけでも3億個のエッグタルトが販売されたという。 台湾では1997年にポルトガル式エッグタルトがメディアで盛んに取り上げられたが、ブームが過熱して模倣店が乱立したことで人気が低迷するに至った。この顛末から、バブル的な食品の流行を指す「エッグタルト効果」(zh:蛋塔效應)という言葉が生まれた。 日本では1990年ごろから周期的にティラミスやナタ・デ・ココのような物珍しい外来スイーツのブームが起こっており、1999年にはエッグタルトがその列に並んだ。流行が下火になった後もコンビニエンスストアなどで時おり販売されている。
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