菊池三渓とは? わかりやすく解説

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菊池三渓

読み方きくち さんけい

幕末・明治漢学者紀伊生。名は純、字は子顕、別号に晴楼主人、通称純太郎。安積艮斎檉宇に儒学を学ぶ。紀州藩儒より幕府儒官となり、のち警視庁御用掛となる。晩年京都移り、詩・戯文能くす。著に『続近事紀略』『国史略』等。明治24年(1891)歿、73才。

菊池三渓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/21 03:58 UTC 版)

菊池三渓(きくち さんけい、文政2年(1819年) - 明治24年(1891年10月17日)は江戸時代後期から明治にかけての漢学者。通称は純(紀)太郎、角右衛門。名は純。字は子顕。別号は晴雪楼主人、鉄屏書屋主人。

和歌山藩儒の家系に生まれ、江戸幕府奥儒者に抜擢されたが、政変のため下総国に退隠し、明治初年まで常総諸藩を点々とした後、東京京都で著述活動を行った。

生涯

幕臣時代

文政2年(1819年)紀伊国和歌山藩儒菊池梅軒の子として生まれた[1]。菊池家は代々紀州徳川家に仕え、曽祖父菊池衡岳の代より儒学をもって仕えた[1]

安政5年(1858年)10月、徳川家茂征夷大将軍に就任した時、成島柳北に代わって侍講に抜擢され、江戸に移った[1]。安政6年(1859年)12月14日小納戸となり、文久3年(1863年)3月家茂に従い上洛し、8月9日小十人頭格奥儒者に抜擢されたが、元治元年(1864年)6月22日政変のため小十人頭八番組に左遷され、8月18日六番組に移り、9月30日辞職した[1]

常総時代

退隠の地を求めて給地を巡り、慶応元年(1865年)下総国宗道村松村修平宅に逗留し、筑波山に登っている[2]。慶応2年(1866年)宗道村名主五兵衛の隠宅を借り受けて塾を開き、水海道村秋場桂園、中妻村児玉梅坪等と交流した[2]

明治元年(1868年)10月6日下妻村大町に移り春雪楼と号し、秋場清太郎(玉如)、富村貞次郎(玄泉)、猪瀬嘉吉、飯村丈三郎、小林秀三郎(林塘)等を弟子とした[2]

明治2年(1869年)8月または9月、下館藩に招かれて藩校を監督した後、暮には笠間藩に招かれ、加藤桜老別荘十三山書楼に住みながら藩校で経学を講義した[2]

明治3年(1870年)春下館に帰ったが、三渓の門弟と藩校生徒の間に軋轢が生じたため、水海道横町石工山崎家宅に移った[2]。門弟等が資金を出し合って私塾の開校を計画したが、間もなく土浦藩から誘いがあったため、門弟を置いて土浦に移った[2]

明治時代

明治4年(1871年)春東京、明治5年(1872年)6月京都に移った[2]。明治14年(1881年)東京に戻り、警視庁御用掛となった[1]。明治16年(1883年)大阪大阪府中学一等教諭を務めた後、明治21年(1888年)までに京都に戻った[1]

明治24年(1891年)中国地方北陸地方を歴訪中、10月17日脳溢血により小浜で客死した[3]。墓所は左京区南禅寺北ノ坊町光雲寺。画家菊池素空は養子。

著書

  • 『晴雪楼詩鈔』明治元年(1868年)
  • 『東京写真鏡』明治7年(1874年)
  • 『西京伝新記』明治8年(1875年)
  • 民権講義略解』明治8年(1875年)
  • 『続近事紀略』明治9年(1876年)
  • 『本朝虞初新誌中国語版 奇文観止』明治16年(1883年)
  • 『西苑記』明治17年(1884年)
  • 『記事論説軌範』明治17年(1884年)
  • 『漢文軌範 記事論説』明治18年(1885年)
  • 佐藤貞子伝』明治20年(1887年)

明治33年(1900年)旧蔵書が養子素空により京都大学附属図書館に寄贈され、この中に自筆稿本60点が含まれている[4]

脚注

  1. ^ a b c d e f 福井辰彦「ある儒者の幕末 ―菊池三渓伝小孜―」『論究日本文學』第89号、立命館大学、2008年8月
  2. ^ a b c d e f g 富村登『常総の漢詩人』、富村登遺稿後援会、1965年 p.57-96
  3. ^ 読売新聞』明治24年10月25日
  4. ^ 福井辰彦編『京都大学附属図書館蔵 菊池三渓自筆稿本目録』京都大学附属図書館、2012年


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