茜部神社とは? わかりやすく解説

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茜部神社

読み方:アカナベジンジャ(akanabejinja)

別名 八幡様

教団 神社本庁

所在 岐阜県岐阜市

祭神 応神天皇 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

茜部神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/22 14:23 UTC 版)

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茜部神社

境内正面
所在地 岐阜県岐阜市茜部寺屋敷3丁目135番地
位置 北緯35度22分29.08秒
東経136度45分5.92秒
座標: 北緯35度22分29.08秒 東経136度45分5.92秒
主祭神 応神天皇
神功皇后
武内宿禰
社格 式内社
郷社
創建 830年天長7年)
例祭 4月5日
地図
茜部神社
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茜部神社(あかなべじんじゃ)は、岐阜県岐阜市にある神社式内社であり、旧社格は郷社。岐阜市茜部地区の産土神とされている。

祭神

1868年明治元年)までは、比売大神を祀っていた。

歴史

奈良時代、この地域は東大寺の荘園である厚見荘(後の茜部荘)であった。茜部神社は、830年天長7年)、宇佐八幡宮を勧請し創建されたという。宇佐八幡宮からの分社としてはかなり初期に創建された神社とされる。当初の祭神は、誉田別尊息長帶比売命比売大神であった。その後、833年(天長10年)、空海神宮寺として成就院を建立する。

南北朝時代戦国時代川手城上茜部城加納城の守護神とされ、土岐氏斎藤氏の保護を受けていたが、斎藤道三の死後の1556年弘治2年)戦災で焼失した。その後再建され、織田氏の保護を受けている。江戸時代加納城の歴代城主の保護を受けていた。

明治時代初期の廃仏毀釈で成就院は廃寺される。また、1868年明治元年)、祭神のうち、比売大神を武内宿禰に変更している。例祭は10月15日であったが、1950年昭和25年)に4月5日に変更された。これは岐阜まつり伊奈波神社の例祭)に合わせたものである。

現地情報

所在地
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