茂侶神社_(流山市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 茂侶神社_(流山市)の意味・解説 

茂侶神社 (流山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/16 15:02 UTC 版)

茂侶神社

拝殿
所在地 千葉県流山市三輪野山619
位置 北緯35度52分14.02秒 東経139度54分31.60秒 / 北緯35.8705611度 東経139.9087778度 / 35.8705611; 139.9087778 (茂侶神社)座標: 北緯35度52分14.02秒 東経139度54分31.60秒 / 北緯35.8705611度 東経139.9087778度 / 35.8705611; 139.9087778 (茂侶神社)
主祭神 大物主命
社格 式内社(小)論社
村社
創建 不詳
別名 三輪神社
例祭 10月15日
主な神事 ヂンガラ餅(1月8日
テンプレートを表示
一の鳥居
二の鳥居

茂侶神社(もろじんじゃ)は、千葉県流山市にある神社。旧称は「三輪神社」。式内社論社で、旧社格村社

祭神

歴史

延喜式神名帳』には小社として「下総国葛飾郡 茂呂神社」と記載されており、その論社にあたる。論社には他に2社(松戸市船橋市)がある(「茂侶神社」参照)。茂呂神社自体の国史での初見は、『日本三代実録』貞観13年(817年)11月12日条「茂呂神に従五位上の神階を授ける」という記述である。その後、元慶3年(879年)9月25日に正五位上を授けられた。

当社の創建は不詳。祭神の大物主命は、奈良県三輪山にある大神神社の分霊とされており、社名の「茂呂(茂侶)」は、三輪山の旧名「御諸山(みもろやま)」の「モロ」のことであると見られている[1]。そのため、当社の鎮座する台地もまた「三輪山(三輪野山)」と呼ばれている。神宮寺跡・旧参道西平井の鳥居跡・八木郷の地名由来などから、当社は広大な神域を有していたと推測されている。

慶長3年(1598年)、江戸川が掘られたことにより神域が分断された。当神社はその東岸にあたる。そのため、元和年間に江戸川西岸に分社し、三輪神社が創建された。また、当社には江戸幕府から毎年25石の祭祀料が捧げられていた。

境内

  • 本殿
  • 拝殿 - 平成7年に瓦の葺き替えが行われた。

境内に接して神宮寺の跡がある。

祭事

  • ヂンガラ餅
1月8日のオビシャ(新年祭)において、鏡餅を神前に供えたのち氏子が引きちぎりあう。餅の割れ方によりその年の作柄を占っていた。流山市により無形民俗文化財に指定されている。

文化財

流山市指定無形民俗文化財

  • ヂンガラ餅行事

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

  1. ^ 神のいる「モリ」の転訛とする説もある。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「茂侶神社_(流山市)」の関連用語

茂侶神社_(流山市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



茂侶神社_(流山市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの茂侶神社 (流山市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS