若年時の飽き性とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:51 UTC 版)
「鈴木早智子」の記事における「若年時の飽き性とその後」の解説
幼少期の回想や、若年時に行なっている述懐においては、鈴木は自らを「飽き性」とする。 彼女が41歳の時、2010年11月に上梓した自叙伝『負けじ魂』では、小学2年生の時に歌手に憧れた際は、「私は自分の性格が飽きっぽいということも分かっていました。」「2~3年待ってみて、それでも飽きなかったら本物」 と、自身の飽き性な性格故に、慎重な態度を示したとする回想を行なっている。2006年3月、37歳の時の、吉田豪によるインタビューでは、「鈴木さんは昔から歌手志望だったみたいですね。」という吉田の言を受けて、「いろいろ興味はあったけど、歌手以外は飽き性でしたね(笑)。」と語った。 また、「飽き性」ということに関しては、21歳の時、1990年4月に出版されたWinkの特集書『Twinkle Angels』における、「英会話はずっとしてみたいと思ってるけど、私って飽き性だから(笑)、ただ軽い気持ちで「やろうかな」なんて始めたりしても中途半端になるだけだと思うの。」という発言もある。なお、英会話を実際に学んだのは、1994年、25歳の時に、ニューヨークでレッスンを受ける時期 と、1998年、29歳の時に、同地での『ASAYAN』の収録期間中において、「英語辞書を持ち歩いて話すようにしたり」していた時期であるが、後者の時期には「英語もわからない自分がどこまでできるか。」と思案していたことも述べており、英会話の習得は出来ていなかったように語っている。 自らの若年期以前に関する発言が上記の如くであるのに対し、成人となった頃以降に関して、壮年期における次のような発言がある。2003年、鈴木が34歳の時、20歳頃から好んでいたしゃぶしゃぶや、当時、止められなくなって1年程度経っていた携帯電話の麻雀ゲームを例にした、「一つのことがずっと好きではまると長いんですよ。」とするものである。 鈴木の壮年期の趣味には、「趣味・愛好」の小節で後述する如く、バス釣りのように、30歳前後に2年ほどで終わったものもある一方、ボウリングのように、10代の終わり頃以来、長く続いたものもある。
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