船舶画家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 08:44 UTC 版)
それらの絵が次第に地元の評判となっていた1959年(昭和34年)、静岡で同じ町内に住んでいた田宮模型(現在のタミヤ)の田宮俊作から箱絵の製作を依頼された上田は即座に快諾した。巡洋艦「鳥海」「愛宕」を描いたのを手始めに3-4日で一枚を仕上げる仕事ぶりで、後の艦船プラモデルシリーズ「ウォーターライン」の箱絵の大半、2,000枚以上が上田の作となった。 上田は船舶画を描く際、何よりも正確さにこだわり、資料を徹底的に調べ、写真がないものについては図面から絵を書き起こしている。国会図書館に残る当時の軍艦の設計図から構造を知るほか、船舶装備の機能の理解、場所による海や空の色、船の速度による煙のたなびき方の違いなど、従軍による実体験による知見があるからこそ再現できるものという。 1973年(昭和48年)に初の個展を開催、以後帆船、軍艦、車、機関車、飛行機等の作品が、プラモデルのボックスアート以外に絵本やカレンダー等でも使われるようになった。2009年現在までに2万点以上の作品を手がけ、あわせて後進の指導に力を入れている。2011年(平成23年)2月には、画集『上田毅八郎の箱絵アート集-戦艦大和から零戦まで』(草思社)が出版された。 2016年(平成28年)6月18日死去、没年齢95歳。
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