航空魚雷を開発した科学者、エンジニアたち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 06:08 UTC 版)
「九一式魚雷」の記事における「航空魚雷を開発した科学者、エンジニアたち」の解説
1923年ころ、成瀬正二技術大尉(当時、終戦時は少将)は英国の工廠を見学して報告し、日本の航空魚雷開発を最初から担当することになった。 1930年には、九一式航空魚雷は成瀬少佐(当時)が開発を開始し、1931年に兵器として制式採用された。ただし、九一式航空魚雷の初期型には、本体構造に脆弱性があった。 愛甲文雄大尉(当時、終戦時は大佐)は1931年以降、兵科将校として九一式航空魚雷の開発チームを推進する責任者に指名された。愛甲大尉は航空魚雷を開発するための人的資源を集め、主にハード面の実験を指揮し、原因は解明するように命令し、安定器(ロール安定制御システム)が必要と判明した時には是非なく開発するよう命令した。彼は、九一式航空魚雷を自分が開発した偉大な業績として誇っていた。また、成瀬少佐からの兵科将校の追加をという強い要望をうけて、愛甲少佐は同期の片岡政市少佐(当時、のち大佐)を招き、制御機構面の指揮担当として追加した。 成瀬正二少将の指揮下で、かつて海軍空技廠で一連の九一式航空魚雷を開発した人々は、後に「九一会」として親交を保った。広田晴男 元少佐、小平(松縄)信 元少佐、家田 元工長、野間 元技師、前田盛敏 元技師、市川英彦 元大尉、川田輝幸 元海軍技術学生などである。
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