自然破壊への意識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 05:44 UTC 版)
前述の『沈黙の春』出版以降、環境破壊を意識する流れが、世論を形成し、自然破壊が原因と見られる異常気象が多発するなど、環境の改変が人間の意図しない事態を引き起こす事例が明確になってきた。このため、過剰な環境破壊が進めば、今以上に人間がその代償を受けることを繋がると危惧し、人間の経済活動などの利己的な振る舞いによる自然破壊を阻止しようと主張する者が出現してきた。 その反面、地球にはまだ多くの自然が残されているとし、多少の破壊は人間の利益追求・経済活動のためにはやむを得ないと主張する者もいる。 ただし、環境破壊がそれ自体による景観の破壊や、その行為による想定外の災害や公害が人間の利益を損ね、結果的に一部の人々の利益の為に無関係な人々が損害を被るといった外部不経済をもたらす可能性を考慮すれば、それは経済活動に対してもマイナスに働き、前述の主張が如何なる場合も免罪符になるとはいえない。 このように、個々の自然破壊に対するへの意識は高まってきてはいるものの、人間活動そのものに関わる問題であり、一筋縄には行かないのが現状で、現在も自然破壊は進み続けている。
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