自動車黎明期のツーリングカーとは? わかりやすく解説

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自動車黎明期のツーリングカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 04:27 UTC 版)

ツーリングカー」の記事における「自動車黎明期のツーリングカー」の解説

ツーリングカー (touring car) とは20世紀初頭に広く使用され乗用車のボディスタイル。ツアラー(tourer)ともよばれ、ラナバウトロードスター比べ大型のもの。屋根のないオープンカースタイルであり、通常は、(のちにコンバーチブルトップと呼ばれるうになる)折りたたみ式の幌が付けられていた。当時ツーリングカーよばれた乗用車は、ほとんどが後部トノー呼ばれるシート部を装備し、これにより4人以上の乗員確保していた。初期ツーリングカーではエンジンは、車両前方だけでなく車両中央座席下部配置されたものもあった。このツーリングカーは、その後現代的なセダン・サルーンのボディ・スタイルにつながる。 ツーリングカーという乗用車ボディスタイルは、米国では、1910年代半ばまでには4ドアであったり、折りたたみ式幌が付属したりと、様々なバリエーション作られるようになり、当時提供されていたボディスタイルの中で最も広く一般に普及していたタイプであった1908年から1927年にかけてフォード社生産したフォード・モデルTではその多くは5人乗りツーリングカーであった。これは当初4ドア車だったが、のちに運転席外側予備ホイール常設されるようになり運転手助手席から乗り込む3ドアツーリングカーとなっている。18年上もの生産され乗用車トラック、シャーシモデル合わせて1500台ほど製造されT型のうち、6,519,643台(約652台)がこのツーリングカーであった。およそ44%がツーリングカーということになる。次いで多く生産されタイプトラックである。 特定モデルにはサイド・カーテンも付属していた。これは乗員悪天候時に保護するためのものである。これが装備されていない車の場合ドライバー同乗者は自然に立ち向かわなければならなかった。折りたたまれ屋根(トップ)は、後席の後ろ側に「大きくかさばったでっぱりとなって畳まれ、これは「ファン(fan)」とよばれていた。屋根(幌)とその木製支柱保護するために「ファンカバー(fan covers)」が使用された。 ツーリングカー米国では1920年代初頭には衰退しはじめる。それは乗車部分覆われたクローズドタイプの乗用車がより手に入りやすい値段となってきたからだった。こうしてオープンカー主流だった時代米国では終わることになった。クロースドタイプが当たり前になって以降は、逆にクローズドタイプをツーリングカーとよぶようになった

※この「自動車黎明期のツーリングカー」の解説は、「ツーリングカー」の解説の一部です。
「自動車黎明期のツーリングカー」を含む「ツーリングカー」の記事については、「ツーリングカー」の概要を参照ください。

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