聨合運動会
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町村合併促進法により1955年(昭和30年)3月に合併が行われる前は、北相馬郡西部の町村の小学校による連合運動会が行われていた。 1918年(大正7年)または1919年(大正8年)ごろ始められたと考えられ、第二次世界大戦で中止となった1943年(昭和18年)と1944年(昭和19年)を除き、毎年11月3日(明治節→文化の日)に開催されていた。 参加町村は守谷町、大井沢村、大野村、高野村(現守谷市)、高井村(現守谷市、取手市)、稲戸井村(現取手市)、小絹村(現つくばみらい市)、内守谷村、坂手村、菅生村(現常総市)の10町村11校。 会場は、当初は守谷町大字守谷字北園の通称「鍋山」(現守谷市松並)で行われていたが、後に大野村立大野小学校、守谷グランド(守谷駅裏に存在した)へと会場を移し、守谷町立守谷小学校が現在地へと移転新築した1930年(昭和5年)以降に同校に会場を移した。 1946年(昭和21年)までの参加者は尋常科第4学年から高等科2年までの全生徒で、競技は尋常科男女の100m走、高等科女子の100m走、高等科男子の200m走、徒競走、各校選抜リレー(男女とも2名ずつ)であった。
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