美術館2館地歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/15 14:00 UTC 版)
詳細は「台南神社」および「台南市立体育館(中国語版)」を参照 清朝時代、この地は台南の豪族呉汝祥(中国語版)が建てた邸宅『宜秋山館』だった。1895年甲午戦争後に呉は邸宅を寄贈、日本の北白川宮能久親王が台湾での軍事活動中に館に駐屯していた。同年10月、能久親王は宜秋山館側面の廂房(主に脇部屋として使われる中国の伝統的な家屋配置)で病死。 1902年に官営博物館としては台湾初(一般的には台北市の台湾総督府民政部殖産局付属博物館が知られている)となる、『台南県博物館』が設置されていた。その後展示品は両広会館(中国語版)に移され、跡地の宜秋山館東側には北白川宮能久親王を祀る台南神社が建てられ、1923年に完工した。 1946年中華民国政府は台湾の他県市同様に台南神社を忠烈祠に改め入口橫梁上に「浩氣千秋」の四文字が刻まれた。 1969年に忠烈祠は健康路一段に移転し、国民革命忠烈祠と改称。元の場所にあった建物は当時の市長だった林錫山により撤去され、屋内式の「台南市立体育館」が建てられた。 1991年7月、施治明(中国語版)市長任期中に体育館は撤去され、跡地は「第11号公園」および「公11地下駐車場」となった。
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