練習(試走)中の事故で死亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:28 UTC 版)
「東京箱根間往復大学駅伝競走」の記事における「練習(試走)中の事故で死亡」の解説
第32回大会が開催された1956年の12月11日、箱根町の国道1号線・宮ノ下界隈に於いて駅伝練習(試走)を行っていた専修大学の学生、小山国夫が交通事故に遭い、死亡した。事故当時、小山は前記国道1号線を駆け下りていたところだったという。ちなみに小山は、前記第32回大会に専修大学の第7区走者としてエントリー、1時間13分35秒のタイムで区間9位という成績を残していた。 事故から2年余り経過した1959年3月5日、宮ノ下観光協会の手により、小山に対する鎮魂の意を込めた当駅伝35回記念碑が建立された。その記念碑は宮ノ下交差点から元箱根方向に約300m上ったところの右手、箱根神社宮ノ下別院付近に存在し、裏面には小山の母親による鎮魂の句が刻み込まれている。 なおコースに於ける事前試走については、現在、安全上の理由から当駅伝の主催者・関東学連により禁止されている。しかし実際には、箱根山中を試走する箱根駅伝出場ランナーとおぼしき姿が散見されている。
※この「練習(試走)中の事故で死亡」の解説は、「東京箱根間往復大学駅伝競走」の解説の一部です。
「練習(試走)中の事故で死亡」を含む「東京箱根間往復大学駅伝競走」の記事については、「東京箱根間往復大学駅伝競走」の概要を参照ください。
- 練習中の事故で死亡のページへのリンク