編纂後の戦史部
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戦史叢書の編纂完了の目途が立った1975年5月21日の参事官会議で、その後の戦史部のあり方について議論がなされ、6つの任務が提示された。研究員たちによれば、基礎資料の作成などは実施したが、叢書編纂プロジェクトなどは実施されてこなかった。戦史研究部員を務めた事のある赤木完爾によれば、執筆後に発生した問題として、1970年代後半から1980年ごろまで、10年ほど対抗戦史の収集が不活発になり、文献収集を怠っていた時期があると指摘されている。 一方、波多野澄雄によれば、編纂官たちは意気軒昂で次の企画にも意慾的であり、対抗戦史の研究としてベトナム戦争などの執筆に移っていった旨を語っている。また、戦史室での任期の限られている自衛隊幹部達は機能別戦史の研究などについて興味を示していたと言う。戦史室の廃止を画策していたのは防衛庁の内局であり、これに対して上述のような戦史執筆の公共的意義を材料とした反論が実施され、戦史室は廃止を免れた。 刊行後事実関係の誤りや誤植が1000箇所以上指摘された。防衛研究所戦史部ではその度逐次正誤表を作成していった。
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