編纂史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 19:40 UTC 版)
徳島藩の11代藩主蜂須賀治昭は寛政4年(1792年)に、『阿波志』の編集にあたらせるために、お抱え儒学者の佐野山陰(佐野之憲、佐野憲、藤原之憲、藤原憲とも。1751年-1819年。)を「編集御用」に任じた。 佐野は、翌寛政5年(1793年)に、国内の町や村、港に地誌調査を命じた。これにより、各地の官吏や庄屋を通じて諸地の地理や歴史、戸数と人口、田畑の石高や特産品、神社仏閣や名所旧跡に関する情報が収集された。その後、寛政10年(1798年)には佐野自らが各地の巡察を行い、資料の収集も行った。 これらの情報がまとめられ整理されて、藩命から23年後の文化12年(1815年)に全12巻12冊の『阿波志』として完成した。 こうした編纂経緯のため、完成は文化12年(1815年)だが、収録されている情報は寛政5年(1793年)ないし6年(1794年)、10年(1798年)当時のものだと考えられている。
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