編纂年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 15:36 UTC 版)
その編纂年代については、貞観14年12月13日に決定された荷前山陵の改定が反映されていることから、貞観15年(873年)以後、同19年(877年、この年に「元慶」と改元される)のうちに編纂されたと考えられている。なお、一部には現存本『儀式』の中に昌泰年間に統合された兵庫寮の名称が見られることなど、昌泰・延喜年間に初出する語句が登場することから、石塚一石は延喜13年8月29日宣旨を『貞観儀式』の草稿を正式な儀式として編纂することを命じたものとする説を出している。これを採用すれば、現存の『儀式』が実は『延喜儀式』であった可能性も浮上するが、同宣旨を『延喜式』編纂に関する宣旨とする説が通説であり、また前述の荷前山陵のような大きな変動の余地のある項目がそのままにされていることから、延喜年間に細かい語句の修正が行われた可能性があるものの、現存の『儀式』の原本は貞観年間に編纂された儀式(書)であるとするのが通説である。
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