結果 - その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 17:08 UTC 版)
途中までは両者共に相手の技に付き合って投げたり投げられたりを繰り返していたが、試合途中に力道山がいきなり木村の顎に右拳によるストレートパンチを放ち(プロレスのルール上でも反則技である)、そのまま木村が状況をつかめないうちに張り手の乱れ打ちでKO負け。マットは血に染まり、観客は騒然とした。 リングサイドで観戦していた木村政彦の師匠の牛島辰熊は、この結果に驚き、愛弟子の木村を助け起こそうとリングに駆け上がるが完全に意識を失った木村は立ち上がれなかった。 試合会場には木村を兄と慕う大山倍達(後の極真空手創始者)もいて、このやり口に激昂して、その場で力道山に挑戦するが無視された。大山は木村の復讐をするために喧嘩で決着をつけようと、その後、力道山を路上でつけ回す。木村も力道山を許せず、短刀を懐に呑んで刺し殺すために付け狙った。 しかし、力道山は、この9年後(1963年12月15日)に酒の席でのヤクザとの喧嘩でナイフで刺されて短い生涯を終えることになる。 木村政彦は生涯この試合を悔やみ、75歳で癌で死ぬ(1993年)直前に猪瀬直樹のインタビューに対して「力道山を殺したのはヤクザではなく私だ。私が死という言葉を念じて彼を殺したのだ」と語っている。力道山がヤクザに殺されてから実に30年も経っての言葉である。
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