結城氏・小山氏連合とは? わかりやすく解説

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結城氏・小山氏連合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 00:14 UTC 版)

小山氏」の記事における「結城氏・小山氏連合」の解説

高朝は実兄である結城政勝小山結城氏連合形成して周辺有力な敵対する大名である宇都宮氏小田氏佐竹氏らに対抗しようとした。政勝には明朝という男子があったが、幼くして死去したため、高朝の3男の晴朝を政勝の養嗣子として迎えて結城氏家督譲り連合結束力はさらに強化されることとなった小山氏北方から虎視眈々と狙う宇都宮氏対抗すべく、結城小山連合宇都宮氏勢力北東にあって宇都宮氏対立する那須氏連携深めていった。 それに対抗して宇都宮氏那須氏南東結城小山連合北東位置する佐竹氏小田氏連携する様相になり、下野国常陸国などの北東関東地方では、結城小山那須連合宇都宮佐竹小田連合互いに牽制しあう状況になった天文14年1545年10月河越夜戦が起こる。古河公方足利晴氏扇谷山内上杉家らは連合して北条氏康関東侵略阻止しようと、北条氏康軍と河越衝突した。しかし、結果北条氏康大勝利終わった。氏康は武蔵北部から下野下総常陸に及ぶ広大な範囲勢力伸ばそうとし、敗戦した古河公方足利晴氏北条氏影響下に入らざるを得なかった。 天文21年1552年)、北条氏康古河公方足利晴氏押し込めて、自分の妹と晴氏の間にできた子である甥・義氏に家督を譲らせた。古河公方押し込めによる交代結城政勝小山高朝兄弟をはじめ、関東諸将衝撃動揺、そして困惑与えた。義氏が古河公方になったことで、北条氏康関東管領のように振舞うことになり、今まで北条氏に対して関心のなかった北関東諸将たちも北条氏対する対応を考えざるを得なくなった北条氏の台頭によって関東地方には大きな転換期訪れた。それへの対応をめぐって小山結城両氏連合歪み現れるまた、小山氏内部でも高朝とその子の秀綱との間に意見のずれが生まれた。高朝・秀綱父子は、足利晴氏緊密な関係を結んでいた。そこへ義氏が古河公方着任したことで、問題起こった。それは、これから足利晴氏足利義氏父子のどちらを支持するからということであった。 高朝は晴氏を支持する立場堅持するとし、秀綱は義氏を新たに支持する立場への転換明確にした。高朝・秀綱父子意見対立したが、小山氏分裂することはなかった。しかし、結城氏は義氏を支持することを明確にしたため結城政勝小山高朝との間には進む方向亀裂生じ結城小山連合はここに解体することとなった

※この「結城氏・小山氏連合」の解説は、「小山氏」の解説の一部です。
「結城氏・小山氏連合」を含む「小山氏」の記事については、「小山氏」の概要を参照ください。

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