経済・外交の行き詰まり
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「エリザベス2世」の記事における「経済・外交の行き詰まり」の解説
「英国病」も参照 プロヒューモ事件により、1963年にマクミラン首相が退任する。後任は、女王の旧知の仲であるアレック・ダグラス=ヒューム(伯爵位を返上)だったが短命に終わる。1964年に労働党が政権を奪還してハロルド・ウィルソンが首相に就任した。 しかし、1960年代を通して英国の国際競争力の低下は明らかであり、外交面では1960年に欧州経済共同体(EEC)への参加を拒まれ、1967年には欧州諸共同体への参加を再び拒絶された。これは、自国の農産物輸出を不安視する、オーストラリアやニュージーランドの強い反対があった。経済面では1967年にポンドを切り下げるに至った。また、ベトナム戦争への参加要請を拒否したことから、英米関係は再び悪化した。このような中、1968年、ウィルソン首相は「スエズ以東」から軍を3年以内に撤退させることを表明し、大英帝国は名実ともに終わろうとしていた。 女王はウィルソン首相の決断を理解し、撤退後の1972年から東南アジア諸国を歴訪し、親善と理解の促進に務めた。 1963年、ニュージーランド総督バラントレー男爵(英語版)夫妻とともに 1968年11月、訪智時、モネダ宮殿にてモンタルバ智大統領と女王 1969年8月、ノルウェー訪問時、ベルゲンにて国王オーラヴ5世(左端)とともに。後方にチャールズ王太子も 1970年、エドワード・ヒース首相、リチャード・ニクソン米大統領夫妻と 1972年、ベオグラード訪問時、チトー大統領と
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