国際競争力の低下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:07 UTC 版)
1960年代になると、国有化などの産業保護政策はイギリス資本による国内製造業への設備投資を減退させることとなり、(セカンダリー・バンキングで)資本は海外へ流出し、技術開発に後れを取るようになっていった。また、国有企業は経営改善努力をしなくなっていき、製品の品質が劣化していった。これらの結果、イギリスは国際競争力を失っていき、輸出が減少し、輸入が増加して、国際収支は悪化していった。 特に多くの労働者を抱えていた自動車産業は、ストライキの慢性化と日本車の輸出が活発化した時期(1970年代)が重なったことで壊滅的な状況となり、2000年代には外国メーカーのブランド名としてのみ名前が残っている。 「ブリティッシュ・レイランド」も参照
※この「国際競争力の低下」の解説は、「英国病」の解説の一部です。
「国際競争力の低下」を含む「英国病」の記事については、「英国病」の概要を参照ください。
- 国際競争力の低下のページへのリンク