紹鴎と「わび茶」とは? わかりやすく解説

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紹鴎と「わび茶」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:08 UTC 版)

武野紹鴎」の記事における「紹鴎と「わび茶」」の解説

現代の「わび茶」の概念決定付けている『南方録』では、 みわたせば 花ももみぢも なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮 という藤原定家の歌を紹鴎の「わび」の心であるとしている。南方録資料的価値は低いが、最初に和歌書跡茶席取り入れたのは紹鴎である。 『山上宗二記においては紹鴎目指し茶の湯境地とは 枯れかじけ寒かれ であったとされる。これは連歌師である心敬言葉から引いたのである桑田忠親は、紹鴎和歌学んでいたことには大きな味がある指摘する歌道という、藤原定家前時代歌人達によって体系化整理され文化茶道融合し茶道芸術的な日本文化昇華する至った桑田指摘するわび・さび由来である言葉侘び」「寂び」も歌道由来言葉概念であり、これらを茶道思想持ち込んだのは村田珠光だとも言われるが、桑田紹鴎歌人でもあったことから、わびさび概念産み出したのは紹鴎ではないか、と推定している。 他方、神津朝夫は、『山上宗二記』の記述元に紹鷗の茶の湯は「わび茶」と呼ぶにはほど遠かった指摘している。紹鷗は「茶の湯正風体盛り死去」したと記されている他、紹鷗の茶室は、黒漆塗りの縁がつく張付壁(足利義政東求堂同仁斎にも使われている壁)であったこと、名物茶道具60種も所持していたこと、などを理由としてあげている。紹鷗和歌から学んだのは、古い詞(ことば)を用いて新し感覚の歌を詠むべき、という美意識応用した伝統的に評価の確立している茶道具つかって新たな趣向生み出す道具組みだった、としている。

※この「紹鴎と「わび茶」」の解説は、「武野紹鴎」の解説の一部です。
「紹鴎と「わび茶」」を含む「武野紹鴎」の記事については、「武野紹鴎」の概要を参照ください。

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