細谷家
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「用心棒日月抄の登場人物」の記事における「細谷家」の解説
細谷源太夫(ほそや げんだゆう) 又八郎のかつての用心棒仲間。第3巻の終わりで、7000石の大身旗本、近藤備前守の家士として雇われることになった。しかし、我の強さからたびたび同僚と諍いを起こし、5年前に上司を打擲して、ついにクビになった。しかし、相模屋には主家が潰れたからなどと言い訳している。 現在は、妻を亡くし、子どもたちも独立して、霊岸島で一人暮らしをしているが、酒毒に冒されていて、その生活はすさみきっている。相模屋で用心棒をしながら生活費を得ているが、50代半ばの年齢と酒毒のため、相棒の初村賛之丞の助力がなければ荒っぽい仕事は務まらない。 又八郎が江戸での任務を終えて帰国する直前、長男一家と同居するために、北陸に向かって旅立っていった。 細谷の妻 細谷は、5年前に妻が心臓病で死んだと又八郎には語ったが、娘の美佐によればそれは正確ではない。細谷が近藤家に仕えるようになってからも、彼がわがままのために同僚とぶつかるたび、妻は代わりに謝罪してまわって尻ぬぐいをし、すぐに弱音を吐く細谷の尻を叩いてきた。それは、かつての貧しい長屋暮らしに戻ることを恐れてきたからだが、5年前に細谷がクビになって貧しい裏店暮らしに戻り、その半年後に元々病弱だった息子が死んだことで、ついに発狂してしまった。そして、心臓病で亡くなったのは、2年前のことである。 藤井 美佐(ふじい みさ) 細谷の次女。22歳。又八郎が2度目に細谷の長屋を訪問した時、たまたま訪ねてきた美佐と再会した。その時、彼女は、家族が貧しいながらも一つであった時代を思い出したか、しばらく涙をこらえることができなかった。 母が父のわがままのために苦労し続け、気が狂った末に亡くなったことを、冷笑混じりに又八郎に教えた。ただ、今も酒毒に冒され、自堕落な生活を続けている父親について、嫌っているわけではなく情けなく思うと語った。 15歳の時、父がまだ務めていた近藤家の奥用人の世話で、旗本神保家に奉公に出、18歳の時に神保家の勘定方に務める藤井酉之助に嫁いだ。子が1人いる。 細谷の長男 越前にある藩に、儒学者として抱えられている。細谷によれば、藩主にも講義しているらしい。すでに妻帯して、子も2人いる。たびたび細谷に同居を勧めてきたが、細谷は遠慮してその申し出を受けなかったという。しかし、後に出世して家も広くなったと言ってきたため、細谷は同居を決意する。 細谷の次男 剣術で腕を上げ、西国の藩に仕官した。細谷に同居するよう誘ってきたが、まだ独り身のため断ったと細谷は言う。 細谷の他の子どもたち 三男、四男、長女が、はやり病いで亡くなった。
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