細谷家とは? わかりやすく解説

細谷家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:14 UTC 版)

用心棒日月抄の登場人物」の記事における「細谷家」の解説

細谷源太夫(ほそや げんだゆう) 又八郎のかつての用心棒仲間第3巻終わりで、7000石の大身旗本近藤備前守家士として雇われることになった。しかし、我の強さからたびたび同僚諍い起こし5年前上司打擲して、ついにクビになった。しかし、相模屋には主家潰れたからなどと言い訳している。 現在は、妻を亡くし子どもたち独立して霊岸島一人暮らしをしているが、酒毒冒されていて、その生活はすさみきっている。相模屋用心棒しながら生活費得ているが、50代半ば年齢酒毒のため、相棒初村賛之丞助力なければ荒っぽい仕事は務まらない。 又八郎が江戸で任務終えて帰国する直前長男一家同居するために、北陸向かって旅立っていった。 細谷の妻 細谷は、5年前に妻が心臓病死んだ又八郎には語ったが、娘の美佐によればそれは正確ではない。細谷近藤家仕えるようになってからも、彼がわがままのために同僚とぶつかるたび、妻は代わりに謝罪してまわって尻ぬぐいをし、すぐに弱音を吐く細谷尻を叩いてきた。それは、かつての貧し長屋暮らしに戻ることを恐れてきたからだが、5年前細谷クビになって貧し裏店暮らし戻り、その半年後に元々病弱だった息子死んだことで、ついに発狂してしまった。そして、心臓病亡くなったのは、2年前のことである。 藤井 美佐ふじい みさ細谷次女22歳又八郎が2度目細谷長屋訪問した時、たまたま訪ねてきた美佐再会したその時、彼女は、家族貧しいながらも一つであった時代思い出したか、しばらく涙をこらえることができなかった。 母が父のわがままのために苦労し続け、気が狂った末に亡くなったことを、冷笑混じり又八郎に教えた。ただ、今も酒毒冒され自堕落な生活を続けている父親について嫌っているわけではなく情けなく思うと語った15歳の時、父がまだ務めていた近藤家の奥用人世話で、旗本神保家奉公に出、18歳時に神保家勘定方務め藤井酉之助に嫁いだ。子が1人いる。 細谷の長男 越前にある藩に、儒学者として抱えられている。細谷によれば藩主にも講義しているらしい。すでに妻帯して、子も2人いる。たびたび細谷同居勧めてきたが、細谷遠慮してその申し出を受けなかったという。しかし、後に出世して家も広くなったと言ってきたため、細谷同居決意する細谷の次男 剣術腕を上げ西国の藩に仕官した細谷同居するよう誘ってきたが、まだ独り身のため断った細谷は言う。 細谷の他の子どもたち 三男、四男、長女が、はやり病いで亡くなった

※この「細谷家」の解説は、「用心棒日月抄の登場人物」の解説の一部です。
「細谷家」を含む「用心棒日月抄の登場人物」の記事については、「用心棒日月抄の登場人物」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「細谷家」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「細谷家」の関連用語

細谷家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



細谷家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの用心棒日月抄の登場人物 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS