細見綾子とは? わかりやすく解説

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細見綾子

細見綾子の俳句

いちじくの黄落光る土管にも
うすものを着て雲の行くたのしさよ
がらがらとあさりを洗ふ春の音
くれなゐの色を見てゐる寒さかな
そら豆はまことに青き味したり
つばめつばめ泥が好きなる燕かな
つひに見ず深夜の除雪人夫の顔
でで虫が桑で吹かるる秋の風
どんぐりが一つ落ちたり一つの音
ふだん着でふだんの心桃の花
みごもりや春土は吾に乾きゆく
み仏に美しきかな冬の塵
もぎたての白桃全面にて息す
わが余白雄島の蟬の鳴き埋む
チユーリツプ喜びだけを持つてゐる
トロ押しに女もまじる山すゝき
ポンポン船の冬浪犬と殘りたり
亡母恋ひし電柱に寄せよごれし雪
働きて歸る枯野の爪の艶
元日の雨や静かに午後は止む
再びは生れ来ぬ世か冬銀河
冬の旅汽車の煙りの海辺の町
冬山の麓に住みて子を持てる
冬川の水合ししぶきとなる所
冬来れば大根を煮るたのしさあり
冬来れば母の手織の紺深し
初ひばり胸の奥處といふ言葉
古九谷の深むらさきも雁の頃
吉野まで沿線苗代時なりし
夏の夜のどぶ板が鳴る身に近し
夏瘦せて遠くの白きもの光る
天然の風吹きゐたりかきつばた
女身仏に春剥落のつづきをり
子を抱いて山の煙りは子に見えず
寒卵二つ置きたり相寄らず
寒卵置きし所に所得る
山茶花は咲く花よりも散つてゐる
峠見ゆ十一月のむなしさに
年暮るる胸に手をおきねむらんか
春の雪青菜をゆでてゐたる間も
春の雷閉ぢし目の奥水々し
春立ちし明るさの声発すべし
春雨が鼻つたひ貧しくたくましき
春雷や胸の上なる夜の厚み
曼陀羅の地獄極楽時雨たり
木綿縞着たる単純初日受く
来て見ればほほけちらして猫柳
松の芯糸屑つけて立ちて見る
枯野電車の終着駅より歩き出す
正月の月が明るい手まり歌
 

細見綾子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/11 13:25 UTC 版)

細見 ほそみ 綾子 あやこ
生誕 細見 綾子(ほそみ あやこ)
1907年3月31日
兵庫県氷上郡芦田村(現・兵庫県丹波市青垣町東芦田)
死没 (1997-09-06) 1997年9月6日(90歳没)
国籍 日本
教育 日本女子大学校国文科卒業
著名な実績 文筆俳句
代表作 『伎芸天』
『曼陀羅』
受賞 芸術選奨文部大臣賞(1975年)
蛇笏賞(1979年)
勲四等瑞宝章(1981年)
影響を受けた
芸術家
松瀬青々

細見 綾子(ほそみ あやこ、1907年3月31日 - 1997年9月6日)は、兵庫県出身の俳人松瀬青々に師事、「倦鳥」を経て「」同人。夫は沢木欣一

経歴

1907年(明治40年)、父・細見喜市、母・とりの長女として兵庫県氷上郡芦田村、現・兵庫県丹波市青垣町東芦田に生まれる[1]。実家は江戸時代から名主をつとめた素封家[2]

1919年、柏原高等女学校に入学、寮生活を送る。1923年、日本女子大学校国文科入学。1927年昭和2年)、同大学を卒業[1]、同時に東京大学医学部助手の太田庄一と結婚[2]。1929年、夫を結核で失い、秋に肋膜炎を発病したため帰郷。佐治町の医師でもあった俳人・田村菁斎の勧めで俳句を始め、松瀬青々の俳誌「倦鳥」に入会、その年に投句し初入選する[1]

1934年、大阪府池田市に転地療養。1937年、青々が没し、その遺稿集の清書・編集に携わる[2]。1942年、後の夫沢木欣一と知り合い、沢木が出征した際には句集の草稿を預かり出版に尽力した。1946年、沢木の「」創刊に同人として加わり、1947年、沢木と結婚。「風」編集兼発行人を務めた。肋膜炎の完治後、1956年に東京都武蔵野市に転居[1][2]

1965年、母校である芦田小学校の校歌の作詞を手掛ける[3]。1952年、第2回茅舎賞(現・現代俳句協会賞)受賞、1975年、句集『伎芸天』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、1979年、句集『曼陀羅』他の業績により蛇笏賞を受賞、1981年、勲四等瑞宝章を受章。 1997年9月6日、90歳で死去。

作品

代表句として、

  • そら豆はまことに青き味したり
  • チューリップ喜びだけを持つてゐる
  • ふだん着でふだんの心桃の花
  • つばめ/\泥が好きなる燕かな
  • 鶏頭を三尺離れもの思ふ
  • 女身仏に春剥落のつづきをり

などがある。青々晩年の「倦鳥」にて古屋秀雄、右城暮石とともに若手の代表作家として活躍、師・青々の作風から強い影響を受け、写生に徹しながらなおかつ主情的・直感的な句をものした[2][4]。結婚、出産を経て戦後はそれまでと異なるテーマを付け加えていったが、社会性俳句の旗手とされた沢木欣一を夫としながらも、社会性俳句からは刺激を受けていると言うにとどまり表現の上では距離を置いている[2]。生前の句集は『桃は八重』『冬薔薇』『雉子』『伎芸天』『曼陀羅』など十冊に及ぶ。『伎芸天』が芸術選奨を受けた際には、「繊細典雅、対象把握の的確さ、自在さ」と評価を受けた[4]

著書

  • 『桃は八重 句集』倦鳥社 1942
  • 『冬薔薇 句集』風発行所 1952.8
  • 『雉子 句集』琅玕洞 1956
  • 『私の歳時記』風発行所 1959.8
  • 『伎藝天』角川書店、1974 /文庫版 邑書林 1996 (邑書林句集文庫)
  • 『私の歳時記』牧羊社 1975
  • 『細見綾子集』俳人協会(自註現代俳句シリーズ)1976
  • 『曼陀羅 句集』立風書房 1978
  • 『花の色 随筆集』白凰社 1978
  • 『俳句の表情』求龍堂 1982
  • 『奈良百句』用美社 1984
  • 『存問 句集』角川書店 1986
  • 『欣一俳句鑑賞』東京新聞出版局 1991
  • 『細見綾子 自選三百句』春陽堂書店 (俳句文庫) 1992
  • 『虹立つ 句集』角川書店 1994
  • 『綾子俳句歳時記』東京新聞出版局 1994
  • 『武蔵野歳時記』東京新聞出版局 1996
  • 『細見綾子』花神社(花神コレクション) 1998
  • 『細見綾子全句集』沢木太郎 編. KADOKAWA, 2014.9

関連文献

脚注

  1. ^ a b c d 丹波市教育委員会公式サイト「細見綾子の世界」
  2. ^ a b c d e f 杉橋陽一 「細見綾子」 『現代俳句大事典』 506-508頁。
  3. ^ 細見綾子と芦田小学校の校歌」『丹波市立 芦田小学校』。
  4. ^ a b 上田日差子 「細見綾子」 『現代俳句ガイドブック』 84頁。

参考文献

  • 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年
  • 『現代俳句ガイドブック』 雄山閣、1995年

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