米国の企業による放送開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 16:20 UTC 版)
「民間放送」の記事における「米国の企業による放送開始」の解説
米国では民間放送より国営放送が先行し、1920年(大正9年)1月17日ワシントンD.C.アナスコティアにある「海軍支援施設」から、海軍省が娯楽音楽放送(コールサインNOF)をはじめた。これに少し遅れて、ペンシルベニア州ピッツバーグのウェスティングハウス電気製造会社の無線技術者フランク・コンラッドが実験局8XK(中波1200kHz, 100W)で放送実験していたものを、同社のデヴィス副社長が拡張・発展させ、1920年11月2日より本放送を開始した。そのコールサインはKDKAで、これが世界初の民間放送のラジオ局である ウェスティングハウス電気製造会社のKDKAはスポーツ中継 、日曜礼拝中継 、アーリントン海軍局NAAの夜10時の時報を中継する「時報サービス」 、生バンド演奏番組 などを次々と開発し、さらには週刊番組ガイド誌"Radio Broadcasting News" を出版。その創刊号は1921年(大正10年)12月末の発売で、1922年(大正11年)第一週(1月1~7日)の番組の「聴きどころ」を紹介した。また系列局の開設でサービスエリアを拡大すると共に、廉価版ラジオ受信機を開発し、商品ラインナップに加えるなど、ラジオ放送の浸透・定着にKDKAは大きく貢献した。その結果、1922年からライバルとなる民間放送会社が爆発的に増えて、深刻な周波数不足が起きた。
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