第7機甲師団時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 14:41 UTC 版)
「第7機甲旅団 (イギリス軍)」の記事における「第7機甲師団時代」の解説
詳細は「en:7th Armoured Division (United Kingdom)#History」を参照 旅団の歴史は1938年にエジプトで警備部隊として編成された エジプト機動師団所属の軽機甲旅団まで遡ることができる。 1939年9月にエジプト機動師団がエジプト機甲師団に、1940年2月に第7機甲師団として改編・改称されると、軽機甲旅団は第7機甲旅団となった。第7機甲師団が赤色のトビネズミをそのエンブレムとしたのに対して、第7機甲旅団は緑色のトビネズミをエンブレムとした。第7機甲旅団は1942年にビルマに移動したのち、「緑色のネズミ」や「ジャングルのネズミ」の名称で知られるようになった。 1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、ドイツがポーランド侵攻を行ったためイギリスとフランスはドイツに宣戦布告を行った。 1940年6月にイタリアが枢軸国側で参戦すると、イギリス領エジプトに侵攻した。(イタリアのエジプト侵攻)第7機甲師団は同年12月のコンパス作戦、41年11月のクルセーダー作戦など、北アフリカにおける多くの戦闘に参加し、ロンメル率いるドイツアフリカ軍団相手に奮闘した。 第7機甲師団は日本軍が連合国を圧倒し始めた1942年初頭、ビルマに移動した。第7機甲旅団は現地軍イギリス領インドへの撤退を支援し、モンスーンの来る直前の5月に撤退を完了させることができた。第7機甲師団は42年末のエル・アラメインの戦いを戦ったのち、1943年に中東に転戦し、イラク、エジプトに駐屯する。休息ののち、1944年には第1カナダ軍団の所属としてイタリアへ上陸した。のちにノルマンディーに転戦した。第7機甲師団の所属部隊がヴィレル・ボカージュの戦いで敗退したことはよく知られている。
※この「第7機甲師団時代」の解説は、「第7機甲旅団 (イギリス軍)」の解説の一部です。
「第7機甲師団時代」を含む「第7機甲旅団 (イギリス軍)」の記事については、「第7機甲旅団 (イギリス軍)」の概要を参照ください。
- 第7機甲師団時代のページへのリンク