第5飛行隊 (航空自衛隊)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 第5飛行隊 (航空自衛隊)の意味・解説 

第5飛行隊 (航空自衛隊)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 14:03 UTC 版)

第5飛行隊
創設 1957年2月1日
廃止 1971年6月30日
所属政体 日本
所属組織 航空自衛隊
所在地 宮城県松島基地
編成地 静岡県浜松基地
通称号/略称 5SQ
上級単位 第4航空団
最終上級単位 中部航空方面隊
テンプレートを表示

第5飛行隊(だい5ひこうたい、JASDF 5th Tactical Fighter Squadron)は、かつて航空自衛隊中部航空方面隊第4航空団隷下にあった戦闘機部隊。F-86F戦闘訓練飛行隊として1957年(昭和32年)に浜松基地で新編され、1958年(昭和33年)に松島基地へ移動し、1971年(昭和46年)に閉隊した。

概要

第5飛行隊はF-86F戦闘機を運用する戦闘訓練飛行隊として、1957年(昭和32年)2月1日に、静岡県浜松基地第1航空団隷下として新編された。1958年(昭和33年)2月16日宮城県松島基地で第4航空団が発足したのに伴って松島基地へ移動し、同年11月1日に第4航空団隷下に編入された。1959年(昭和34年)1月から戦闘機操縦課程教育を開始したが、1960年(昭和35年)7月1日に第4航空団が飛行教育集団から航空総隊中部航空方面隊隷下になったことから第5飛行隊も戦闘訓練飛行隊から戦闘爆撃飛行隊へ改編され、1962年(昭和37年)3月1日から対領空侵犯措置任務を開始した[1]

1971年(昭和46年)6月30日に第5飛行隊は閉隊し、機材は松島基地に編成された第1航空団松島派遣隊に引き渡された[1][2]

沿革

歴代運用機

脚注

  1. ^ a b c d e f g h イカロス出版 JWing No.121 2008年9月号 52頁 「集まれ!日本の戦闘機部隊 航空自衛隊、過去の戦闘機部隊」
  2. ^ a b イカロス出版 Jwing No.31 2001年3月号 32頁 「僕らの航空自衛隊の50年。これがすべての戦闘機部隊、すべての戦闘機だ!」櫻井定和
  3. ^ a b イカロス出版 JWing No.184 2013年12月号 21頁 「戦競2013 戦競、偉大なるその軌跡」松崎豊一
  4. ^ a b c d 大日本絵画 月刊モデルグラフィックス2月号別冊 戦競1988 航空自衛隊昭和63年度航空総隊戦技競技会 68頁-70頁 「戦競史 航空総隊戦技競技会28年の歩み」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第5飛行隊 (航空自衛隊)」の関連用語

第5飛行隊 (航空自衛隊)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第5飛行隊 (航空自衛隊)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第5飛行隊 (航空自衛隊) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS