第5留 -キレネ人シモンがイエスを助ける-とは? わかりやすく解説

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第5留 -キレネ人シモンがイエスを助ける-

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 06:09 UTC 版)

ヴィア・ドロローサ」の記事における「第5留 -キレネ人シモンがイエスを助ける-」の解説

第4留を過ぎたところでヴィア・ドロローサは再び西へ向き変える右折する)。ここからゴルゴダの丘へと向かうヴィア・ドロローサ通り(タリク・アル=サリ通り)の階段状の緩やかな上り坂登るのだが、その交差点傍ら南側)に、イエスに代わって十字架担いだキレネシモン記念する第5留がある。 「 人々イエス引いて行く途中田舎から出て来シモンというキレネ人を捕まえて十字架背負わせ、イエス後ろから運ばせた。-『ルカによる福音書』 23:26 」 このシモンという人物については、その名前からユダヤ人であったことが推定される以外はほとんど知られていない。おそらく、過越祭のためにエルサレム上って来た巡礼者ひとりであったに違いない。モンテ・クローチェの聖地巡礼者リコルドの文献では、この場所は13世紀末にはフランシスコ会所有地として記録されていた。その後、一旦は同会の手から離れたのだが、1889年返還され1895年教会建立1982年修復されて現在に至っている。教会建築されるまでは壁面据え付けられていた石が第5留のシンボルとなっていた。キリスト教伝承では、この石にあるくぼみはゴルゴタの丘へと向かうイエス触れたことによってできたものだという。一方ユダヤ教徒イスラム教徒ヴィア・ドロローサ対す嫌悪感から、その石に汚物付けるなどして冒涜していた。

※この「第5留 -キレネ人シモンがイエスを助ける-」の解説は、「ヴィア・ドロローサ」の解説の一部です。
「第5留 -キレネ人シモンがイエスを助ける-」を含む「ヴィア・ドロローサ」の記事については、「ヴィア・ドロローサ」の概要を参照ください。

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