第23師団の紛争地進出とは? わかりやすく解説

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第23師団の紛争地進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)

ノモンハン事件」の記事における「第23師団の紛争地進出」の解説

激増する国境紛争対応するため関東軍戦力増強することとし関東軍への派遣決定され1938年新設されたばかり第23師団紛争地防衛にあたらせることした第23師団日中戦争拡大師団増設必要に迫られ日本軍が、通常編成である歩兵4個連隊定数29,400人)から歩兵3個連隊定数24,600人)に減少して編成した特設師団であり、慢性的な戦力不足から、通常編成の常備師団比較すると、予備役招集兵や年長兵により編成され兵器旧式なものが配備されていた。師団長にはソ連駐在武官ハルビン特務機関などを歴任しソ連であった小松原道太郎中将親補された。参謀長には騎兵専門小松原同様ソ連であった大内孜大佐任命されたが、大内は「この師団長のときに、戦いが起こらなければいいが」と懸念していたという。第23師団新設師団であり兵士練度問題があったため、1938年7月21日師団満州派遣の出動命令下された後は、ハルビン周辺にいったん集結し付近警備担当するという名目訓練行った後に、11月から年末にかけて順次ハイラル付近に進出した。しかし極寒地のハイラルでは冬季まともな訓練はできず、1939年1月から4月までは戦闘訓練よりは耐寒訓練明け暮れて、ようやく本格的な戦闘訓練開始した頃にノモンハン事件迎えることとなった1939年初頭第23師団歩兵第64連隊歩兵第71連隊歩兵第72連隊第23師団捜索隊騎兵1個中隊と軽装甲車1個中隊)、野砲兵第13連隊工兵23連隊輜重兵編成されていた。将兵14,000人、軽装甲車7輌、砲60門と戦力師団定数割り込むものであったが、アルグン川境界とするソビエト満州国境を起点とした、モンゴル満州国境線全域広大な地域防衛担当することとなった

※この「第23師団の紛争地進出」の解説は、「ノモンハン事件」の解説の一部です。
「第23師団の紛争地進出」を含む「ノモンハン事件」の記事については、「ノモンハン事件」の概要を参照ください。

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